柳宗悦

東京国立近代美術館で、柳宗悦没後60年記念展「民藝の100年」を観た。

これは展覧会を観たことの感想ではない(そういう展示内容ではない)けれども、それにしても白樺派と呼ばれた人々は、じつに多種多様で、ひとりひとりは、自分がある流派や団体を構成してる一員という意識は、おそらくまるでなかったのではないか。

彼らが白樺派であった理由は、単に大学が一緒だったからであり、住まいが近所だったからであり、互いに友達だったからであろう。それは彼らの誰もが、家柄的にも経済的にも大体同一の階層の出身だったがゆえ、ということも含まれるが。

日本という国で、戦前から戦後にかけて、ひたすら自分の興味や関心を心ゆくまで追及できたということ、友人が困っているならば援助もしてあげ、その友好関係は長く続いたということ、なにしろ芸術や文化を生業として生き続けることへの桎梏や障壁が相対的に少なく過ごせた/その構えを持ちつづけたということ、彼らは彼らのままで自分の仕事をまっとうした、それを可能にした/可能だった、ということだ。

柳宗悦の運動は驚くべき真剣さと旺盛な活動力で続けられたものだろうが同時に、芸術や文化と共に生きるとはこういうことなのだという、我が身を挺した世間へのアピールでありアジテーションとしての側面も、自ら意識していたのではないかと思われる。そのあたり柳宗悦柳宗悦であって、志賀直哉とも違うし、武者小路実篤とも違う人間で、人としてもやりたいこととしても似たところはなく、それなのに(だからこそ)彼らは長年、ほどよい距離感で知己のままだっただろう、そこが面白いと思った。