ミニマル/コンセプチュアル

DIC川村記念美術館で「ミニマル/コンセプチュアル:ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」を観た。ドイツのフィッシャーギャラリーの活動をまとめたアーカイブとして、作品はもちろん、ドローイングや、下書きや、設営案や、ギャラリーとの折衝の手紙や、案内状や、メモや、手紙や、会場内写真など、会場内がさまざまな資料で埋め尽くされていて、これらのアーカイブをつぶさに見ていくことを楽しむための展覧会といった感じで、じっくりと一つ一つ丹念に読み耽ってしまった。フィッシャーギャラリーのオープンは1967年で、以降ミニマル/コンセプチュアル系のシーン最前線として機能した。その記録がこれだけ詳細に残されているのは貴重だし、きわめて興味深いものだ。

とはいえ、それらを観ているのが始終楽しかったわけではなくて、つまらない話だがはるか昔の学生の頃の、ぼんやりとした憂鬱さを思い起こさせるような、とてもなつかしいと同時にこんな気分を再び味わうとは思わなかったという気分をもてあましながら、会場内をうろついていた。

70年代あるいは80年代という時代が何だったのか。…コンセプチュアル・アートの影響力は、自分が美術大学の学生だった90年代初頭でもまだ充分に活性的だったと思うし、結局その時期にはじめて美術大学なり美術の世界に触れるというのは、その時点からこれまでの美術的事象--70年代や80年代の出来事--をどのように考えるか、そこを問われることにほかならなず、同時代的にはもちろん様々なムーブメントや動きがあった中で、外に向けた説明と云うより少なくとも自分が自分に説明(説得・納得)をするための、私はこうであるとの何らかの態度を自分なりに決める必要性を、やや脅迫的に感じていたところはあったと思われる。

(若い頃の「頭の悪さ」にも色々あるだろうけど、自分の場合は、理解力、許容力、そして何よりも判断保留力というものを欠いていたと思う。まだ答えを出すべきではない状態のまま内側に留め置き持ち続ける力。それは基礎体力ならぬ基礎教養の一番土台だと思うのだが、これが弱いがために、自分の中の発芽や変化をきちんと保持しておけず滋養増加や熟成の機会を逃してしまう、そんな「忸怩たる感じ」を「かつての過ち」のようなものとして思い出してしまいもする…。)

(そのことへの反動というか屈託が翻って、もう若くない自分はいつの間にかミニマル系が好きになってしまったように少なくとも今の自分は自分のことをそう思っているのだけど、所詮、何かが好きだったり忌避したかったりする原因には、過去に培われて無意識内に沈殿している何らかの記憶が作用しているのかもしれない、今日観た展示物は自分にとっては、そんな悪い予感みたいなものの気配を、不気味な印象で目の前にちらつかせてくれるようなものでもあった。)

…などと、せっかくの展示を観ても、くだらない自分個人の思い出話に堕してしまうのだけど、まあ仕方がない。

それにしても、ギルバート&ジョージなんて、諸悪の根源ではないか…とさえ言いたくなる。最後はほとんど開き直って自虐的な快感すらおぼえながら、最後まで展示物に見入っていたけど、ミニマル/コンセプチュアルの末裔として彼らがいるのだとしたら、美術の運動なんて空しいものだな…とも思うのだが、まあこれは僕個人に限った感想ではあるだろう。

しかしアーカイブ化されるというのはうつくしいことで、カール・アンドレ、ダン・フレイヴィン、河原温、ソル・ルウィット、リチャード・ロング…らが、当時プランを練り、フィッシャーらと打合せ、(あのウナギの寝床のようなギャラリー内の空間からおそらくはイメージを思い巡らせて、)会場設営を計画し、案内状を送付し、個展を組織していく。それらの残された記録群や作品を見ていると、若いギャラリストとアーティストたちの、自分らが今まさに世界のアートシーンを引っ張っているのだという気概と興奮が、生々しく伝わってくるような感じがした。こういうのが成立する、成立すると信じることが出来る、そのこと自体への興奮だ。

コンセプチュアルであること、すなわち無記名的、無機的、非痕跡的であること自体への情熱、まだ見ぬ何かを見ようとする意志をともなった人間的な情熱がそこにはある。おそらくは60年代のニューヨークのポップ・アート・シーンも同質の熱を帯びていたに違いなく、その「熱」を頬に直に感じ取ることは出来なかったにしても、このような過去の鋳型へ標本化されてしまったからこそ、その振り返り体験が可能になってる。