Entropy

トマス・ピンチョンの短編集スロー・ラーナーより「Entropy」を読む。アパートでは三日間ぶっ続けのパーティーが行われていて、上の階では初老の男性カリストが、瀕死の小鳥を胸に抱いている。男性の傍らにはフランスとベトナムのハーフである女性オーバードがいて、彼女は男性に請われるたびに水銀柱の華氏気温をたしかめる。

"エントロピー"についてググれば、それは増大するものと説明されている。しかしその変移について、人がAとBのどちらかを勝手に期待する自由はある。…カリストと小鳥、カリストの部屋とパーティー騒ぎの部屋、妻に逃げられた男と独身男、男と女、酒と空き瓶、静寂と喧騒、仰向けと直立、部屋の中と外…。それらにある法則、ある定理、ある尺度をあてはめた図式のイメージを思い浮かべる努力を、読む者はこころみたりもする。その努力に意味があるかはともかくとして。そしてふたたび、努力と非努力、意味と無意味…こころみは続く。

ある法則、ある定理、ある尺度を知って、新たな視点から対象を知る。知るとは、知ると同時に新たな未知の予感を感じることでもある。未知とはそのまま可能性であり、それが快適なものであれ恐怖をともなうものであれ、さらなる想像の余地を手にすることでもある。

カリストは結局、何もできずに仰向けになって床に寝転んでいるだけだ。水銀柱の華氏は最初から最後まで37度のまま。ついに「熱死」(ヒートデス)は起こらない。パーティー主催者の部屋主ミートボール・マリガンは、果てしなく続くこのパーティーを「完全なカオスに落ちこんでしまう」前に、そろそろ切り上げなければと考えているようだ。

やがて、カリストの胸の上で小鳥は動かなくなる。それを見た女は、再び気温を確認したあとで、素手で窓ガラスを割り、そのまま二人で「均衡の到来」を待つ…。最後に置かれた小さな死と、そのあとのほんの少しだけ劇的なイベントが、この小説を「この小説」と思い起こさせるに足る余韻として作用したように感じた。そもそも余韻の醸成を、この小説が意図したのたかはともかくとして。