SWING TO BOP

リズムは途切れない、延々と続く。あまりにも果てしなく続くので、しまいには頭がぼーっとなってくる。それでも身体の揺れを止めることが出来ない。高揚が自身の内側を源泉として後から後から湧いてくる。4ビート自体が過激なほどの反復直進性をもっていて、その上でフレーズが踊るように走っていく。それはほとんどリズムと見分けがつかないくらいリズムに溶け込んで混然一体となっている。リズムとフレーズが分かれているという既成事実が、現実としては成り立たない状態になってる。

チャーリー・クリスチャン「SWING TO BOP」は、ダンス・ミュージックとしてのジャズと、テクニックやフレーズを披露するためのフォーマットであるジャズとの境目にある感じがする。なぜそう感じるのか、それがジャズ史的にはじめての形式が見いだされた瞬間だったから、という前知識によってそのように聴いてしまっている、それも否めないけど、それだけではない。そもそも、「見いだされた」とは何か。それは過去への振り返りの視点であるはずだ。しかし演奏は常に今ここで鳴っている。だからここには、まだジャズが「それ」になる手前の、まだ着地点に迷い逡巡しているかのような、そのことの成果を未だ誰も保証することができない、ある一時期にだけ成立可能な緊張感がみなぎっている。いわば「未だ見いだされてない時」が、そのまま保管されている。