安直

大江健三郎「死者の奢り」をはじめて読んだのは高校一年のときで、当時、自然気胸を患って入院中に、なぜか母親が「死者の奢り・飼育」の文庫本を買ってきてくれたので、それで大江健三郎の名前をはじめて知って、病院のベッドで読んだのをおぼえている。暗くて、粘りっこくて、なかなか噛み砕き飲み込み辛い文章で、しかし少なくともきれいごとや上っ面の美辞麗句ではないこと、そう簡単には言葉で片付けられないものを書いているということは感触としてわかった。それは当時聴いていた暗くて湿っぽい、あるいは闇雲に攻撃的な音楽と近しいもののようにも思われた。よくわからないけど、とにかく信頼に足る、信じても良いものと見なすことができるように思われた。

その後、数年して、僕は美術解剖学の授業で、実際に検体の解剖学実習というものに参加する機会を得た。そのとき寝台に寝かされていた褐色の検体は老婆で、やせ細り頬骨の浮き上がった顔、肋骨の形状あらわで、すでに各筋肉に切り込みが入っており何重かの薄い衣服をまとったかのようになっている上半身、うっすらと陰毛の残った股間、ほぼ骨だけに近い印象でかすかに膝を立ててそろえられた両脚、それらを寝台の脇で見下ろした。そのときに、たぶん心のどこかに、今日ここに来ることへの、つまらない、さもしい期待をもっていたのだなと感じた。

「死者の奢り」の主人公のように、強いニヒリズムを前面に出した態度でいるのは、少なくとも当時の自分がそのような態度でいるのは、間違いであるはずだった。自分が大学生になったのは1990年で、だからこうでなければならないという基準など無かったにせよ、あれでもなければこれでもないはず、という見えない禁制は敷かれていたように思われた。あるいはそれを勝手に読み取って、途方に暮れていた。

ところで(まるで無関係な話に飛ぶけど)、鏑木清方という画家をはじめて知ったのも、やはり高校一年の頃で、なぜなら、当時の美術の教科書に作品「一葉」が、掲載されていたからだ。その絵を見て、なぜか妙に印象に残って、鏑木清方といえばあの絵だなと、いまだに記憶されている。その後、他作品も知って、なーんだ、意外と普通の日本画家じゃないかと、少し失望したりもした。「一葉」のような雰囲気の作品ばかりを描いている人だろうと安直な高校生らしく勝手に勘違いしていた。

(そもそも何の根拠もなく、鏑木清方は女性だろうと、ある時期まで思っていた気がする。たとえば上村松園が男性だろうが女性だろうが、さほど関心ないが、鏑木清方が男性だと知ったときは、何か自分のなかの常識の一部が、カタンと崩れてこぼれたような感じを受けた気がする。)