ホーリー・モーターズ

ホーリー・モーターズ」をあらためて始めから最後まで観た。ドニ・ラヴァンの全裸が、なかなか神々しかった。バロック時代の絵画に描かれた殉教する使徒のような、ヨレヨレ、シワシワと、張り、艶、瑞々しさがすべて一つになった、横たわる身体。股間にはしっかりとボカシが入っててよくわからなかったけど、もしかしてあの局部は勃起してなかっただろうか?

各エピソードが、依頼を受けて演じる仕事のようでもあり、すでに成立しているフィクションの中へ介入していくかのようでもある。まるで他人の夢の中に侵入して、ある役割を担って振る舞い、終われば離脱しているかのようにも見える。少なくとも主人公ドニ・ラヴァン自身の願望を充足するべく行われている行為という感じはなく、たぶんこれは受注仕事であり、それを遂行するための組織だった何かが存在し、その仕組みによって他人の願望をかなえ、その充足に奉仕するための仕事であるのだろう。その発注主が誰なのかはわからないし、注文の一次受けがホーリー・モーターズと称する「会社」で、運転手のエディット・スコブもその組織に属しているのか、そしてエディット・スコブとドニ・ラヴァンがどのような雇用、契約関係を結んでいるのか、あるいはいっさいが、そういうこととは違うのか、ここではまるでわからず想像することしかできない。

各エピソードの面白さもさることながら、運転手のエディット・スコブがまた、とても味わい深くてよかった。仕事をする者とそれを支援・援護する者との関係、ちょっとしたやり取り、小さなトラブル、次の仕事が始まるまでの車中の待機時間こそが、この「フィクション」を支えているということを、観ていて終始意識させられるのだった。