ナツメグ

ハンバーグを作ってみた。自らの手でハンバーグを作るなんて小学生のとき以来だが、いざ実際に作ってみると、ナツメグという香料の力をまずは思い知った、そう思った。もちろん和えることで肉の臭みを中和してくれるナツメグの香りを、これまで知らなかったわけではない。加工挽肉の調理品を食べたことがない人は稀であろう。だとすればほとんどすべての人がナツメグについてすでにわかっているのだが、それをこのように加えればこの味わいが生まれるというのを、実際の工程から受け取る成果として知るのは、いまさらながらなかなかの驚きだった。この香料について、その使用方法と効能について、最初の発見者がこの世のどこかにいる、あるいはいた、そのことにあらためて驚かされる。ハンバーグに限らないけど、料理の調理工程は、それでひとまずの完成となるまでに、いったいどれだけの年月の手間が折り重なっているのか、それを想像すると、ほとんど気が遠くなるようなものがある。煮詰めたものをいったん冷まして、さらにいくつかのスパイスを加えてまた加熱するとか、一晩漬けこんだものの表面に処理を加えて加熱後にまた置くとか、そういったまるで儀式か祈祷のような手順一つ一つに、無数の人間がかかわった長年にわたる幾多の試行錯誤があるはずで、しかもその試行は、おそらく「こうなるはず」といった物理化学的な予測や目標とはまた違った、美味しさという主観を頼りにした果てしなき寄る辺なき旅だ。この旅がどれほどの孤独をともなうものであるか、それはそれを孤独と感じない人間にしか耐えることのできないような純然たる孤独だと思う。その結果、いま挽肉料理にはナツメグをあわせることがまるで有史以前から確定されていたかのように調和している、しかしそれは天才冒険家の誰かが、ついにその調和を発見した、秘密を掘り当てたということなのか、それとも天才冒険家の野蛮な反復のなかで、事後的にそれが見事な調和と見出されて、それを食したものがもはやそうとしか感じられない、そうではなかったはずの結果を、かなわなかったもう一つの現実として思い浮かべるよりほかないほどの確定事実になってしまった。これはそのように堅固な価値にまで高められた完成された味わいとなってしまい、根拠を欠いたままで歴史的な味わいにまで近づいてしまい、このままだとそれはまるで仏壇のような香りだとさえ言っても言い過ぎてはいない。