写真に見る足立の交通誌

足立区で暮らしはじめたのが2000年初頭ということは、すでに22年にもなる。それまで実家の埼玉に住んでいたが、大雑把に考えれば自分のこれまで生きてきた時間は、埼玉時代と足立区時代で二分されると思って良いだろう。

足立区で暮らし始めたそもそもの理由はとくにない。都内の外れで物価も家賃も安かったのだと思うが、それだけでもなく学生の頃から足立区にはなんとなく馴染んだ感というか理由なき親しみのようなものを感じていた。自分が学生だったのは1990年代の半ばあたりまでで、たぶん当時、同級生や知人で足立区の近隣にアパートを借りてる人は少なくなかった。夜遅くなって、終電が無くて埼玉には帰れずに人の家にお邪魔したりして、その後に最寄り駅となる駅の名前を、たぶんそのときにはじめて知ったのだと思う。

今日、図書館で「写真に見る足立の交通誌」という本を、何気なく手に取ってぱらぱらと見ていたら、そのまま強く引き込まれて、坐りこんで最後のページまで熟読してしまった。よく知っている区域の路線沿線、駅前や商店街などの昔の写真が載っている。だいたい50年ほど前、僕が生まれる前後くらいの時代に撮影された写真である。

最寄り駅の半世紀前の駅舎の外観など、ほとんど言葉を失くしたまま、じっと見入るよりほかない感じになるのはなぜなのか、我ながら不思議だ。子供の頃の記憶に残ってるとか、思い出があるとか、そういうことではないのだ。足立区については二十年分の記憶の蓄積しかない。にもかかわらず「信じがたい過去」を見てしまったような気になるのはなぜなのか。

今もある老舗の菓子屋とか、食事処とか、この商店街、この場所としては知っているのに、ここに写っているもの皆すべてが、今はこうじゃない、もう何も無い、というのは、ほとんど心霊写真を見ているような思いにおそわれる。昭和44年までは、蒸気機関車さえも現役だったのか。あの線路を、あんなものが実際に走行していたというのは…。

さらにそれらの写真の脇には「現在の駅前」とか「現在の街並みの様子」とかも掲載されているのだが、この写真集自体の刊行年が平成7年で、すでに二十五年ほど前なので、それは現在との比較ではなくてどちらも過去なのだ。もちろん過去の度合に差はあるのだが、しかし「現在」として示されているものが、すでにそうではない。この並列された図版がまた、なかなかすごいのだ。

くりかえすけど、どちらの過去も僕が実際に知っている過去ではない。だから余計に、はげしく突き放されるような印象をこれらの写真から受け止めてしまう。自分の現在そのものが、本気で頼りなく思われるくらいに揺らぐ、そんな感覚なのだ。

我々が「過去」と「現在」の図を二枚、それぞれ並べて見せられたときに「現在」の方にふだん感じさせられるものとは何だろうか。それは安心とか退屈とか、何かもう見飽きたもの、ゆえに不安も緊張も必要ないもの、やはりそれはそうだったと帰結するもの、そのことを確認できてしまったことから来るものだ。それは安心でもあるけど、飽き飽きした気分や、ため息をもたらすものでもある。

しかし「現在」など本当はない。ただ「過去」のバリエーションが無限に増殖するだけだ。何をどこまで確認しても、写っているものはすでにそこには無いのだ。写真は「かつてそうだった」と示すだけで、それが事実と違っても何の責任もとらない。ただ、示すだけだ。

そんな写真が示すものに慄いている自分は「足立区で暮らし始めたそもそもの理由はとくにない」という事実に含まれている何かに対して、その根拠の無さに対して、今さらのように慄いているのかもしれない。