アメリカン・ニュー

古い映画雑誌(リュミエール1987年-春)を読んでいて、はじめて知って驚いたのだけど、1962年公開のトリュフォー突然炎のごとく」を観て興奮したデヴィッド・ニューマンロバート・ベントンは、ボニーとクライドの実話を下敷きにした脚本をもってトリュフォーに映画化をオファーしたのだそうだ。

しかしトリュフォー監督による映画化はかなわず、その脚本はウォーレン・ベイティ経由でハリウッドに持ち込まれて、それがアーサー・ペンの監督によって「俺たちに明日はない」として1967年に完成したのだと。

もともとの脚本はボニーとクライドにもう一人(C・W・モス)が加わった男女三人関係スタイルによるもので、まさに「突然炎のごとく」の設定が、しっかりと踏襲されていたらしい。それが、色々と変遷を重ねて、あのようになったわけだ。

…そうなの?!という気持ちと、元々の脚本に近似性があったというのは、なんとなく納得できるな…という気持ちが、相半ばする感じだ。(ウィキペディアに書いてある程度には知られた話らしいが・・)

俺たちに明日はない」はワーナー・ブラザーズ製作ながらハリウッド撮影所システムの伝統に縛られない撮影体制がとられ、ほぼオール・ロケの「自由」な、いわば「ヌーヴェル・ヴァーグ」の息がかかったかのような作品だったとも言えるのだと。

生々しい緑の森の中を疾走する黒い車、あるいは緑に囲まれた若い二人がひたすら憩う、「俺たちに明日はない」のそんな場面が、いまだに印象に残る。しだいに追い詰められていく後半以降も、木々の緑は相変わらず眩しいばかりだった気もするけど、さすがにそれらの記憶は、自分の想像が勝手に作り上げたイメージに上書きされてしまっているかもしれない。まあ、いまさらもう一度観てみようかとまでは、今のところは思わないが…。

しかし「突然炎のごとく」は久しぶりに観たい。その思いが、俄然強くなってきた。