グランド・ブダペスト・ホテル

DVDでウェス・アンダーソングランド・ブダペスト・ホテル」(2014年)を観る。これを観ると、やっぱりウェス・アンダーソンは天才だと言いたくなる。ただしそれは、わけのわからない、前代未聞の、説明不可能ながら、とにかくものすごいものを作るから、という意味ではなくて、むしろその逆で、この世の高い次元でしっかりと待ち望まれているものに対して、ほぼ完ぺきな回答案を準備できる才能と技術力において、だ。

今回受けた印象も、はじめて観たときの感想(https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/20140607)とそう変わらないのだが、なにしろこの映画は、観ていて後半、胸にこみあげてくるものを抑えるのが大変なのだ。それはこのきわめて精巧に仕立てられた細密細工のような作品が、前世紀からニ十世紀後半にかけて失われていったものをテーマにしており、それへの郷愁を高らかにうたうものでもあるからだ。この感傷に浸っていることの甘美さは、他の何物にもかえがたいものがある。

かつて栄華を誇ったホテルが、今はもうすっかり鄙びた老朽ホテルになっていて、整然とクロスの掛かったテーブルが並んだ、ほぼ客のいないレストランの真ん中の席で、作家と老人が向かい合ってディナーを共にする。そこで老人の話す昔話は、ほとんど二十世紀あるいは二十世紀の映画そのものが圧縮されている。しかしこの話をもとに作家は小説を書き、その小説を読んだある読者が作家像の前に佇むことで、この映画ははじまる。つまりすべてはもうすっかり過去のことで、すでにこの世には超有能コンシェルジュのグスタヴも、ゼロの奥さんも子供も、そしてゼロも、この話を小説にした作家さえもいない。これはかつてそのように語られたことのある紋切り型の物語であって、すでに我々は、このような物語の有効圏内には生きていないということ、二十世紀という環境の何もかもからすっかり離れてしまったということ。かつて優雅な人(俳優)がいて、勇敢な行い(アクション)があって、積み重ねられた技術に鍛え上げられた詩や芸術や文化を愛でる場があった、しかしそういったものすべてが、すでに自分らとはほとんど何のつながりもないお伽話のようなものになってしまったことを意味し、それへのかなしみを、じっと噛みしめていたい、ということでもあるだろう。

かすかな文明の光はまだあった
かつての人間性を失い殺りくの場と化した世界にも


彼もその一つだった
他に何を言おう?

 

正直、彼の世界は、彼が来るずっと前に消えてた
とはいえ
彼は見事に幻を維持してみせたよ

 

それは魅力的な廃墟だった
二度と見ることはなかったが