子供の恋愛

先日CSチャンネルでたまたまウェス・アンダーソンムーンライズ・キングダム」(2012年)が放送されていて、あまりちゃんと観てはいなかったので映画の感想とかではないが、しかしこの映画の何が魅力的かといえば、ジャレッド・ギルマンという男の子とカーラ・ヘイワードという女の子を主演に据えたことに尽きるのではないかと思った。まだ年端の行かぬ男の子と女の子が冒険するというお伽話に、この二人の俳優は、まさにジャストではまっているではないかと。とくにカーラ・ヘイワードのムッツリと黙り込んだ、いっさい笑いのない、まったく愛想の無い表情のすばらしさ。

たとえば猫という生き物は、決して人間に愛想をふりまかないし、表情を返すこともない。にもかかわらず、こちらの気遣いや施しや提案を、気に入ったならば受け入れる。そして、そのことに対する負債意識もないし悪びれることもなく、当然のごとく平然としている。本作のカーラ・ヘイワードにも、そのような習性の生き物がもつ、固有の存在感がある。

子供同士が、疑似恋愛、疑似冒険をするという、どこかで聞いたような、どこにでも転がってるような話に過ぎないのだけど、なにしろ再現性が精巧きわまりなく、細部の工夫の気の効き方が半端じゃないという点、その美徳が全体をつらぬいている。

自我が未発達であること、自意識が未構成であることが、子供がつまり子供たる所以であろう。その状態で、相手と恋愛関係を取り結ぼうとする、ここではないどこかへ向かおうとすること。もし当人たちが「これは疑似体験」と自覚しているのだとしたら、とてもつまらないのだが、そうではなくて当人たちが、いたって真剣な場合のみ、子供同士の疑似体験は、のっぴきならぬ緊張と不安の様相を帯びた、まさに命がけの行為となる。

そして、それは必然的に失敗するのだが、だからこそ最後の場面で、二人の口元から放電される電気の光が、観る者の胸をうつ。