野毛山

きのうは、久々に野毛山動物園に行った。前回来たのをまるでおぼえてないのだが、この日記によれば今から十二年前のことらしい。その当時と今との違いとして、惹きつけられる対象が、思うに最近はまず、ほぼ鳥類ばかりになってきたと思う。もちろん猿もキリンもライオンもそれはそれで良いのだけど、なにか鳥類だけが漂わせる「別物」な感じ。同じ生き物だとしても、サルやクマからは感じられない、我々からは遠く隔たった距離感の感触が、鳥たちにはある。あなたと私とはまるで違う、けっしてわかりあえない、こころを通わせ合う余地なんて微塵もない、はじめから同じ空気を吸ってない、鳥たちのそんなスタンスに、動物園を訪れる我々人間は、とんと胸を押されて突き放されるかのような思いを受け、同時にほんの少しの安堵をおぼえるのかもしれない。動物園に来て、同類を見たいのか、異物を見たいのか、それは人によりけりだろうけど、鳥類を見たがる人は、とにかく鳥類に会いたがっている。とはいえ我々ときたらわざわざ動物園のなかにいるのに、鳥類のなかでもことさら珍しい連中ではなくそのへんにいるような平凡な鴨だのをじーっと見つめているのだけど、それにしても、今さらだけど、よくよく見ると、鴨の顔って、柴犬に似てないだろうか。あの嘴を取り外したら、鴨の顔って、柴犬そのものではないだろうか、少なくともあの目は犬の目だと思うけどどうだろうか。というか柴犬に嘴を咬ませたいと思う。そしたら鴨の顔になると思う。そんなことを思いながら、柵の向こう側でじーっとたたずんで対話しているらしき二羽の鴨の様子を見つめていた。まるで話に加わりたいのに混ぜてもらえず、隣席の二人の対話にひたすら相槌を打ち続ける居酒屋の一人客みたいに。