Out Of Touth

ダリル・ホール&ジョン・オーツの「Out of Touch」は1984年の曲だから、自分は中学一年で、ちょうど洋楽を聴き始めた頃で、当時はFENを毎週聴いていた。あの頃は、ひたすらトップ40を流してるラジオなんて、FENくらいしかなかったような気がする。洗濯機のある洗い場みたいなところにしゃがみ込んで、自分の靴だか上履きだかを、洗剤に浸してブラシで擦って洗っていた、かたわらにラジオを置いて、そのラジオから「Out of Touch」が流れていたのだと思う。その感じを今でもなぜか鮮明におぼえている。ただし今、同曲を聴いても、そのときがよみがえるわけではなくて、あくまでも頭の中に思い浮かべたときだけ、それが浮かんでくる。

しかし、ホール&オーツのことなんて、前にもここに書かなかっただろうか?と思って、自分のブログを検索してみる。最近そうやって確かめることは少なくない。ほっとくと二度も三度も同じことを書きかねないのだ。とりあえず、書いてはなかったみたい。それはそれで意外な気がして、「Out of Touch」のことなんて、けっこう頻繁に思い出すし、でもそう思っているのが、単に今だけのことなのだろうか。

1984年(13歳)、1985年(14歳)、1986年(15歳)なのだ僕は。その頃に聴いていた音楽はどれも記憶の深いところにあるのだけど、とりわけ1984年には、特別な感じがある。「初物」の特別感というか。もう動かしようのないもの。もしその音楽を今さら聴いたとしても、もはやその記憶に直接リンクさせようもないほど、固有な領域に格納されて誰にも触れなくなってしまったもの。

当時、小泉今日子なんて、別になんとも思ってなかったのだけど、おそらく1984年、偶然ラジオで聴いた「ヤマトナデシコ七変化」の歌声に、何かある種の、エロティシズムと、あと言葉にするのが難しい抵抗感、その声の主の、いわば敵対的対外意識みたいな、そういう何かを感じさせられたことがあって、そのときの感じをよくおぼえている。単に「惹かれた」というだけではおさまりのつかない複雑な感じ。

十五歳で、夏休みだった。自室で一睡もしないまま朝を迎えた。ラジオから小泉今日子「夜明けのMEW」が流れてきて、"終わらない夏"と歌っていた。そうなのか、この朝と夜のくりかえしは終わらないのか…。おもてに出て自転車に乗ってまだ明るさと暗さのあわいに沈んでいる裏手の道から中学校手前にある森に向けてペダルを漕ぎ出した。まだ鳥の鳴き声も聴こえず、どこか遠くで新聞配達のバイクのエンジン音がかすかに聴こえる以外あたりは静寂につつまれていたが、やがて気温も上昇して、太陽が輝きだして、蝉も騒がしく鳴きだすはずだった。しかし今はまだ、シャッターが半分だけ開いた店のように、終わらない夏は準備中のようだった。

https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/20130818

目が覚めて、夢を見ていた事に気づく。まだ、まどろみのなかにいる。別にこちらでも、あちらでも、どっちでも良かったのに、と感じている一瞬を、眠気に紛らわせて、ずるずると引き伸ばしながら、ゆっくりさっきまでのことを思い出している。

何度か来たことのある店にいた。グラスで三杯ほど飲み干したあとだった。そろそろ会計しようと思ったが、自分のほかに客は誰もいない。カウンターも無人だ。店の中に、誰もいないのかもしれない。時計を見たら、朝の5時なので驚いた。今が、どういう情況なのかわからない。なんで、いまが朝方の時間なのか。それまで、寝てたのだろうか。耳をすませてみても、波の音が聴こえるだけだ。波が防波堤にあたってくだける音。この店は、水際にあるのだ。カウンターがあって、床があって、背もたれと肘掛の付いた木製の椅子が六脚並んでいて、背後の床は、人が一人かろうじて歩けるほどの幅しかなく、その先から、すぐに水だ。

店を出た。無銭飲食になってしまったが、後できっと払いに来る。またこれからも来る店だから、そのへんはちゃんとする。店主に挨拶して、カネを払うことだろう。乾いた路面を歩く。朝が近づきつつある。ビルの壁が朝日に照らされて真っ白に浮かび上がる。

ヤマトナデシコ七変化」の声。「夜明けのMEW」の夜明け。それは今から25年前のことだ。「木枯しに抱かれて」「あなたに会えてよかった」と記憶の変遷としてはそのように来て、この夏にきて、いきなり唐突に「潮騒のメモリー」で、あの小泉今日子の声が、ホラーのように、当時とまったく変わりなく聴こえてきて狼狽しながら、ついに今生の人生においてはじめて小泉今日子の楽曲を購入してしまった。しかし、声とはいったい、何なのか。これほどまでに、何も変わらないものなのだろうか?聴いてるとほとんど気が遠くなる。

外はまだ、人でいっぱい。夜からの人、朝になってしまった人。誰も家に帰ろうとせず、それぞれがそれぞれの目的や楽しみのために、勝手に、右往左往している。そういう景色を子供の頃に見ると、後にひいて、ああこうして、大の大人が、いつまでも寝ずにじたばたしているのは、なんて楽しい事なのだろうと思ってしまい、それが結局大人になっても直らず、そういう者は夜更かし好きな、夜遊び好きになる。夜遊び好きには二種類あって、淋しいのが嫌いで夜になっても人の近くにいたいタイプと、夜特有の寂しさのなかで、他人と付かず離れず、行っての距離を保ちつつ、しかし眠らないというタイプがいる。後者がおそらく子供時代の思い出をいつまでも忘れられないタイプである。懐かしい夜の、記憶に残っているともいえないような思い出である。

なつかしい、とは、夏の事なのだろうか。語源は、夏かしい、とか、そういうことなのか。

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夢なの。夢じゃない。夜空を駆けめぐる…瑠璃色!

あっち向いてて、だめよのぞいちゃ。停めた車の影で着替えた。だれも足跡まだつけてないひと足お先の砂の上。やったね。全然本気、君に夢中さ。やったね!波乗りみたいに浮気な人ね。男の子って、少し悪いほうがいいの。すべて知っていると思っていた。夜明けのMEW。君が泣いた。僕が泣いた。ねむれない、夏。世界中でたったひとり。ときが過ぎて、今、こころからいえる。あなたにあえて、よかったね。きっと、私。しとやかなふりしていても、乱れ飛ぶ、恋心。内緒、貴方の腕のなか、ほかの誰かとくらべちゃう。からくりの早変り。艶姿涙娘。色っぽいね。まつげも濡れて、色っぽいね。夕暮れ抱き合う舗道。みんなが見ている前で。貴方の肩にチョコンと、おでこをつけて泣いたの。あなたは寂しくないの?離れて寂しくないの?bakaだね。明日また逢えるよと、余裕があるのね。ダーリン、MyLove。意味深ILoveYou。なぜなの、涙がとまらない。あなたを見ているだけ。ねむれない、夏。パジャマ代わりに着たシャツ。ベッドのその上で。きみは子猫の素振りで、誰が悪いわけでも、だれのせいでもなくて、いつも、若さは、きまぐれ。愛を、ごめんね。愛を、ごめんね。もっともっと、もっともっとキスをすれば よかったよね。愛を、ごめんね。君をすべて知っていると、思っていた。

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