大竹伸朗

NHKで放送していた「21世紀のBUG男 画家 大竹伸朗」を見る。2006年の大規模回顧展から16年が経つのか。大竹伸朗、66歳か。でも外見・風貌が、昔とまったく変わってない感じがする。十何年前と今制作してる作品が、まったく変わらないかのように、本人自身も変わってない。もちろん一見しただけではということで、よくよく細かく注意深く見るなら、当然色々変わっているのだろうが。

老いたとか、年齢を重ねてしまったというのは所詮「周りにあわせた」から「同調した」からに過ぎないのかもしれないな…。

画家のアトリエに撮影用カメラが持ち込まれるとき、見ている側は制作中の作品を見てもいるけど、作家本人の手つきや方法、身体の動き、立って、あるいは座って、壁に立てかけて、あるいは床に寝かせて、あるいは逆さまにして、絵の具の滴たる様子をじっと見つめて、まるで対話のような、作品という非人間的な対象を相手に、説得を続けているかのような態度を見てもいる。古くて小さな椅子や荒々しい肌の床や、白い壁の様子や、そこに立ち込めているだろう匂いや、室温や、空気の質を想像して、それも含めて見てもいる。

大竹伸朗はやはり初期の鉛筆素描がじつにすばらしいと、それを見るたびに思う。たぶんその素描だけでは、画家「大竹伸朗」を決定づけるには足りなくて、おそらく「大竹伸朗」がその作家名において創り上げる諸作品のもつ固有性とは別に、素描の良さはある。

「この素描の質の高さが大竹伸朗の諸作品を支えており、作家の力量を示している」という話ではない。何かを証明したり何かのエビデンスであったりするわけでもなく、単にその素描がそれとして良い。