六歳のときはすでに幼稚園にかよっていたのだが、車夫の送り迎えはがんこに嫌がった。しかし雨の日には、母が私をひざにのせ人力車で幼稚園の送り迎えをした。ところが歩いて幼稚園から帰っていると、そこを通りかかった私の家の芸者が人力車を止め、私をひざに抱いて家まで連れて帰った。私はこの母や芸者のひざを私のしりに感じるとくすぐったくてたまらなく、一刻も早く家に帰りつきたくじりじりした。ところがまた、車を止めて「おとこし」(傍点)が「ぼん、のんなはれ」と車夫に私を抱えさせ、車の中のおとこしのひざに乗せられることもあった。すると私はいっそうくすぐったくて死ぬ思いの苦しみをしたのであった。男のひざの肉のかたさをしりの下に感じながら、男の前のものがぐんにゃりとしりにあたるのがわかり、「もう、おろして、おりる」ともがき、おとこしが「ぼん、どないしやはったん」と困った顔をした。私は六歳のことからいろけづいていたのにちがいない。
(淀川長治自伝 上巻)

決して許すことに出来ぬ、憎むべき対象がある。ある理不尽さ、ある不均衡がある。私ではない誰かの絶望的な状況、いまここに私ではない誰かの苦しみが、ほんものの現在としてある。

その一方で、ふいに襲い掛かってきて、いっさいの拒否を禁じられた状態の身体の奥底から、まるで予想もしなかったような快楽の種子が、あらがいがたく導き出されてきて、まだ快感ともわからないその感覚に戸惑い逡巡するような体験がある。

そうあるべきである、それを願い、希求する、認められない、許すべきではないことがある、その一方で、よろこびは、快楽は、それらとは無関係に、たしかにそこにある。希望や願いと快楽は、私のなかに、きれいに区分されてない。まだらに、入れ子状になって、当初の私を、細かく切り分けてしまう。

尻で感じ取るということ。自分が乗っかっている、その下にある得も言われぬものを想像しながら、それを尻と背中になかば強引に感じ取らされるという、幼少時の原始的な性的体験がここには書かれていて、これはほとんど、絵に描いたような典型的な受動体験であり、それはまるで自動車に乗ることの快楽にも、もちろん映画を観ることの快楽にもつながるかのようだ。

というか、映画を観る快楽とはつまるところ、子供が大人の膝に乗せられたとき、尻に感じるものなのではないか。