カリフォルニア・ドールズ

ロバート・アルドリッチカリフォルニア・ドールズ」(1981年)を録画で観る。蓮實重彦的「ハリウッド映画史観」における、その崩壊・終焉を象徴するというか、墓碑銘のような作品とも言えるのか。とはいえアルドリッチという名匠のこれが遺作であることについて、僕自身が何か思うわけではない。とくにそのへんの文脈に関係なく、この映画は面白い。アルドリッチはまさか本作が遺作になるとは自身予想もしなかったであろう、とも言われる。一貫して質の高い仕事を続けてきた職人の手掛けた、これが最後の作品であること。そのことをあらかじめ知っておく必要などない。そのへんの文脈が言わんとしていることは、理屈ではなくこの映画のなかに含まれていると言ってしまって良いのだろう。(別にそういう何かが画面に「映っては」いないし、多分に感覚的な話で、ゆえに観てわからなかったとしても、それはそれだ。)

自分がまだ小学生のときに、親戚の家に新品ビデオデッキと共に幾本かのテレビ録画された映画群の一作として「カリフォルニア・ドールズ」が保管されていて、はじめてそのタイトルを知った。あたりまえだけど、終焉・崩壊とか、そんなことは誰も考えてなかったにせよ「カリフォルニア・ドールズ」=泣ける、の等式は、当時から成立していた。ハリウッドとか監督とかの話ではなく、もっとフワッとした気分みたいに、当時その映画を取り囲むさまざまな人々によって共有されていた。まだ子供だった自分ですら、なんとなく「そういうものらしい」と知っていたはずだ。

(何を根拠にそう言うのか、自分にもわからない。まったく証明不可能な話でしかない。)

何に対して「泣ける」のかは説明できない。そういうものだった。あの当時「泣ける」とは、今の意味よりもう少し複雑で、その理由を問えないような不思議な何かにあえてあてはめた言葉として、それを使っていたように思う。

ハリウッドの黄昏を感じながらこの映画を観ている人がいた。その一方でこれをはじめて観る人もいた。おそらく誰にとってもこの映画はそれ自体として、不思議なことにある種の「ものがなしさ」をまとってあらわれた。そのような共有感覚が含まれた装置として、この映画は一時的に八十年代初頭のその時間を覆ったのではないか。