リヒター

いま、リヒターの展覧会がやっているけど、自分がいまリヒターを観ても何の感想も浮かばなそうで、観に行く前に何かしら手掛かりというか、考えるきっかけにでもなればと思って、本屋でリヒターに関する書籍を少し物色して「ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論 」を買ってきて読み始める。

第1章【ベンジャミン・ブクローによるインタヴュー(1986年)】での、ブクローとリヒターの対話が、翻訳の調子のせいかまるで日本の昔の文芸誌みたいな言い回しに感じられる。対話内容はぜんぜんそうではないけど。

基本的には噛み合ってないというか、ブクローの投げる球をリヒターはあまりまともに受け止めようとはしてないというか、はっきり不満を感じているというか、しかしふてくされるわけでもなく一応律儀に自分の考えを丁寧に述べている様子がうかがえる。

それまで主に印象派までの芸術しか知らなかった彼は、1958年のドクメンタポロックとフォンタナに強烈な印象を受ける。

ポロックとフォンタナのどこがそれほど魅力的だったのか、思いだせる?
R あの図々しさだよ!(中略)彼らの絵画こそ、東ドイツをすてた本当の理由だったとすらいってもいいと思う。僕の考え方とあわないなにかが、そこにあると気づいたんだ。
□「図々しさ」というのを説明してくれるかな?その言葉には倫理的な響きがあるけど、そういうことをいってるんじゃないだろう?
R いってるとも。そのつもりもあるさ。だって、そのころ僕がつきあっていたのは、倫理性を重視するサークルで、資本主義と社会主義のあいだを架橋しようとして、その中間の道、いわゆる第三の道を模索していた。だから、僕たちの考え方も、芸術のなかに探していたものも、そうとう妥協にみちたものだった。「図々しさ」のかわりに「根源的」といってもいいだろう。僕らはまるで根源的じゃなかったし、真実味もなかった。まちがった配慮でいっぱいだったんだ。
□なに、あるいは誰にたいする配慮?
R たとえば、伝統的な芸術の価値への配慮、なによりも僕が気づいたのは、この「切りこみ」や「絵の具のはね」は、形式主義的な冗談なんかじゃなくて、苦い真実であり解放であるということ、そこにはこれまでとはまったくべつの新しい内容が表現されていたことなんだ。
□すると君は、そういた絵画の根拠を、それは形式面での必然だとか、二十世紀の最初の数十年に準備されていた、長い発展における次のステップだとか、あるいは絵画の諸問題にたいする考察だと理解するのではなく、つねに自分の存在にじかに伝えられたものとして、みてきたんだね?君にとってまったく異質であったのは、そういう形式主義的な考え方だったわけだね?
R そう。今でも異質なままだ。

「図々しさ!」そして「苦い真実であり解放」だなんて…。なんだかまるで、ジミ・ヘンドリクスを聴いて落雷のような衝撃を受けて人生が変わってしまった人みたいな、この後もずっと同じ調子の、熱くてフレッシュな言葉がつらねられている印象だ。ブクローはリヒターを「素朴な画家」とは思ってなくて(無理もないけど)、あくまでも「リヒター」と思っているので、ついそのニュアンスを含む問いかけをしてしまい、リヒターはそれに対して時にはかなりはっきりと苛立ちをあらわしもする。

しかし誰であれ、「作家」というのは、他人が思うほどには作為的でもないし意図的でもないしべつに計算などしていない、というよりもそんな俯瞰位置から生きて制作できるなどと想像するのが浅はかで、「作家」はその「作家」なりの素朴な真剣さにおいて仕事をするしかないのだろう。(そのためには、信じる力こそが要請されるだろう。)