二十世紀美術

どういえばいいのか、たしかに僕は、当時あの《大ガラス》を知らなかった。でも、とらわれずに《四枚のガラス板》を制作するために、その知識を自分で抑えつけたのかもしれない。今からふりかえってみていえるんだが、僕の《ガラス》は、《エマ(階段を降りる裸婦)》と同様、アンチ・デュシャンふうのところをもっている。というのも、二つともとても簡素で、わざと単純だからね。
ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論 」

エマ(階段を降りる裸婦)》にせよ《四枚のガラス板》にせよ、アンチ・デュシャンというよりも、デュシャンの各作品のことを思い出すための仕掛けというか、その作品がうまれるにあたって必要だったモチベーションの、リヒターという作家なりの再召喚の結果、という感じがある。そのように試してみた結果のこれが、リヒターというオリジナリティだったのだと。

リヒターという作家そして作品の在り方が、二十世紀後半の美術において中心的なものであり、アートマーケットにおける最高峰であったというのは何を示唆するのかが気になっている。しかしリヒターについて書かれたものを読んでいると、はじめて読むものでもどこかで読んだような気になるものばかりであったりもする。それは当然のことで、僕もまた二十世紀後半の空気と風土になかで生きてきて、美術にも人並みの興味を向けてきたのだから、リヒターについて語る言説が新鮮なものに感じられるはずがない。それでもそれは新鮮さとはまた別の意味で興味深くて、それはむしろ過去への興味深さに近い何かだ。

2001年、川村記念美術館でのリヒター展「アトラス」を観たのは、今もおぼえている。しかしその四年後に同館で「ゲルハルト・リヒター展」が開催されたことを、まったくおぼえていなかった。たぶん、観に行ってないと思うのだが、本棚にその展覧会図録があるのを今日発見した。わりと取り出しやすい場所にあるのだけど、こんな本があるのを今まで完全に忘れてた。だとしたら自分は、2005年のリヒター展にも行ったのだろうか。図録を見返してみると、ああたしかに、どれも見覚えがある気はするな、とは思う。とは言っても実際に観たのか印刷物他で観たのか依然としてはっきりしない。この図録も、展覧会場以外の場所でも購入できるような一般書物の体裁だし、会場ではなくて書店で買ったのかもしれないけど、いずれにせよ記憶はあいまいだ。とにかく会場の印象、そこで観たという記憶がたしかなのは「アトラス」の方だ。

川村記念美術館は今年の一月に「ミニマル/コンセプチュアル」でコンラート・フィッシャーの画廊の活動を紹介したけど、西ドイツに移住した60年代のリヒターも、コンラート・フィッシャーからアメリカのポップ・アートやニューヨークスクールの画家たちを教えられた。モンドリアンポロックやライマン、ソル・ルウィットら、当時のアメリカ美術に強い衝撃を受けた東ドイツ出身の作家にとっては、まず彼らを乗り越えるための戦略を立案することが至上命題だった。彼らの作品がもつその「図々しさ」その「単純さ」の衝撃を乗り越えることこそが。

衝撃は強ければ強いほど、そのことで受けた「傷」を隠蔽し誤魔化したくもなるだろう。そのような自分の心こそを隠蔽したくもなるだろう。過去に縛られている、囚われているということの両義性のなかに、暫定的な解答を提示し続けなければいけない、その義務を果たし続けることが美術家の役割となるだろう。作品価格は上がり続け、世界の美術館が新作を所蔵しようとすることは、暫定的解答に対する報酬と解釈できるだろうが、しかし、それにしても…。

リヒターは図版で観ていると、意外にきれいだしわかりやすいし、とっつきやすさを兼ね備えているところが、なんかずるいような気がしてしまうのだが、だからこそ超メジャー美術作家でもあるのだろう。リヒターはやはりフォト・ペインティングの一部の作品がみせる研ぎ澄まされた選択眼というか審美眼というか、それをトリミングしてくる圧倒的な感覚的するどさに凄さの核がある気がする。というか、そういう観点から凄いとか凄くないとかを言わせないための決死の迂回がリヒターの本領であり、その身のかわし方、ずらし方こそが二十世紀後半の美術なるものなのだろう、と思う。それをいま、どこかなつかしい何かとしてこうして反芻している。