あなた自身とあなたのこと

ホン・サンス「あなた自身とあなたのこと」(2016年)。主人公の女がカフェでお茶を飲んでいると、男(A)が話しかける。あなたはミンジョンでしょう?前にお会いしませんでしたか?女は違う、あなたのことを知らないと答える。男(A)は、おかしい、そんなはずないのだが、と不思議がる。よくよく聞いてみると、じつは一卵性双子で、私は妹でミンジョンは姉だと女は答える。男(A)は合点が行き、二人は話を続け、そのまま居酒屋「金星」で杯を重ねる。

ミンジョンの彼氏ヨンスは友人から「ミンジョンがたびたび男と金星で酒を飲んでいるらしい」との噂を聞く。ヨンスは怒って禁酒の約束を破ったミンジョンを問い詰める。ミンジョンも怒って、しばらくのあいだヨンスと距離をおくと宣言する。

翌日、ヨンスは彼女の家の前で彼女があらわれるのを待つが、彼女には会えないままだ。水道だかガスのメーターは動いているのだから不在ではなさそうだが…。(その場で待ちながら、ヨンスは彼女が自分を受け入れてくれて仲直りするまでの展開を、ひとしきり妄想したりもする)

後日の日中、公園のベンチで話をする主人公の女と男(A)。女は男に、もう会わないようにしましょう、さようならと告げる。ひとりベンチに取り残される男(A)。

主人公の女がカフェでお茶を飲んでいると、また別の男(B)が話しかけてくる。久しぶりですね、以前お会いしませんでしたか?女は、あなたのことを知らないと答える。おかしい、そんなはずないのだが、と男(B)は不思議がる。とはいえ会話は続き、そのまま二人は居酒屋「金星」で杯を重ねる。

そこへ男(A)が偶然あらわれる。久しぶりですね、元気ですか?と、女に話しかける。あなたのことを知らない、と女は言う。そんなはずない、と男(A)は答える。しつこく食い下がる男(A)に対して、ついに我慢の限界に達した男(B)が、怒りをあらわにする。迷惑なことはやめろ、さっきから彼女は貴方を知らないと言ってるじゃないか。男(A)も負けずに応戦する。お前こそ何だ、俺に指図するな、関係ないのだからお前は黙っていろ。そんな応酬をするうちに、男(A)と男(B)は、お互いが中学時代の同級生だったことに気づく。気付いて一気に意気投合し、久しぶりの再会で大いに盛り上がる。女は二人で盛り上がる男たちからひとり取り残される。女は席を立つ。

女がひとりでいるのを見かけたと、ヨンスは友人から連絡を受ける。急いで向かう途中、寂しそうに一人佇んでいる彼女を発見する。こんな場所で、泣きながらひとりで何をしているのか、一緒に帰ろうとヨンスは彼女に言う。あなたのことを知らない、と彼女は答える。その言葉に戸惑いながら、しかしヨンスは彼女の言う通り、たった今が初対面で、出会ったばかりの二人であるかのような態度にに付き合って、敬語を使って彼女と話をし、食事をして、一緒に自室まで眠る。まるで今日はじめて出会い、交際のはじまった男女のように振る舞いながら、二人で朝をむかえる。(おしまい…)

主人公の女を演じるのはイ・ユヨン一人である。彼女がひたすら虚言を重ねている、あるいは彼女は記憶喪失あるいは多重人格的な症状を患っている、なにしろ酒におぼれやすい、酒にのまれて収集がつかなくなりがちな、困った性癖の女である。エキセントリックで妙な虚言ばかり言う、たちの悪い女であると、この映画の観者はそんな印象をもつのだが、しかしそれだけでは済まない読みを誘う

男は「久しぶりだね」と彼女に言う。彼女は「あなたを知らない、あなたは誰ですか?」と相手に応える。

「自分は一卵性双子で、ミンジョンは私の姉である」との彼女自身の言葉が、冒頭に置かれる。双子、それは虚言だろうか。虚言だとしたら、何が考えられるか。単に虚言壁がある変な女というだけか。

ほんとうに双子であるならどうか。この映画で「ミンジョンに見える女」が二人存在する可能性は、否定することができない、すなわち彼女が「あなたを知らない」と言うとき、それが虚言だと証拠立てることができないようになってはいないか。

たとえば女に「一度だけの虚言」があったとしたらどうか。双子が「真」である場合「あなたを知らない」はほとんどの局面で「真」となる。ただし男(B)と女の席に男(A)が再登場する場面で、女が男(A)を知らないことが「真」であるためには、男(B)と共にいる女は、男(A)と過ごした女とは別人でなければならないから、男(A)は過去に会ったときと、次に会ったときのどちらかで、彼女に嘘をつかれていることになる(あるいは単純に先日別れた男だから、関係の切れたはずの相手に「知らないです」と言ったとも考えられる。というか、それが最も自然な解釈だろう)。

なにしろ男(A)が犠牲(?)になることで、男(B)も彼氏のヨンスも、(二人の)彼女から、虚言を言われてない世界が成立する。とはいえ二人共、初対面の人物(ミンジュの妹)と、はじめて出会って、時間を共に過ごした(彼氏とはこれからも…)、ということになる。男(B)はともかく、彼氏は最後の再会時に「初対面の相手」である体裁の芝居をするわけだが、その芝居(虚)がそのまま真になってしまうわけだ。…というか、そんな女が二人存在することがおかしいだろう、だとすればやはり、双子はいないのではないか。妹がいないのではなくて、最初から姉などいないのでは。

それにしてもかなりきっちりとした「企み」を感じさせる話で、かえってホン・サンスらしくないというか、いつもの緩さみたいな印象は控えめかもしれない。

いや、この作品のもっとも重要な点は、知らない者同士だったはずの男(A)と男(B)が、実は知り合い(同級生)だったことに気づく。このことで女は疎外され、新たな「知らない相手」を求めて「元彼」のところへ向かうという点かもしれない。だとすれば、やはりこの女は、ちょっと病気で、かなりややこしい一人の人物だと考えるのが妥当だろうか。その決められなさ、割り切れなさに、もちろん本作は解決をあたえず、これまで観た出来事を、記憶のなかでいつまでも反芻することしか許してくれないのだった。

ヨンスが描いてる絵のこと、ヨンスが松葉杖を付いてる理由、母親が重篤な状態であること、テラス席で食事をしているときに偶然話をする女のこと、ヨンスの妄想に出てくるミンジョンがまるで幽霊のような存在感であることなど、ヨンスにまつわるとくに解決のないさまざまな要素も面白かったけど、何よりもイ・ユヨンが、魅力的な存在感を醸し出していた。何というか、わけのわからないことばかり言うややこしい女の、若くてふわっとした、だらしないけど無視しがたいエロ感というか色気が、ただよう香りのように発散されていて、若いっていいなあ…というバカな感想がまずは思い浮かんでくる。