海の沈黙

Amazon Primeジャン=ピエール・メルヴィル「海の沈黙」(1949年)を観る。主人公のナレーション主体で話が展開し画面はそれに付き添うような、映画というよりは映像付きの小説みたいな感じだったが、何年か前に読んだ原作をひさしぶりに再読したい気持ちにさせられた。(で、本棚を探したのだがまるで出てこない。久々に本気出して本棚を隅から隅まで探索してしまった…が、依然として無い。なぜだ…。)

原作の小説はドイツ占領下の1942年フランスにて秘密裏に出版された、いわば「抵抗文学」である。であればこそここにフランスの気高い自尊心、自国への誇り、守るべき矜持が込められているのは理解できるが、同時に敵国であるドイツの将校が、ここまで文化や芸術に理解を示す人物として描かれてもいるところが不思議でもあり興味深くもある。抵抗の意志をたたえつつも、一枚岩的な批判構造ではない。悪いのはあくまでもナチスをはじめとする組織化した者、組織下で自らの思考を捨て去った者たちで、ドイツ人であっても個人間においてわかりあう余地は残されていると。たとえ情勢にさからえず悲劇的な別離を迎えるにせよ。

そしてそのドイツ人将校が、軍人としてはありえないような、あまりにも楽天性に満ちた夢想家であり、文化・芸術の力と戦争の結果がもたらす「平和」を心から信じ切っている、そのほとんど白痴的と言いたくもなるほどの稀有な人物として描かれているのが、この物語全体を、一種の夢というか祈りのようなものに近づけてもいる。

フランス人の伯父と姪は、二階の空き部屋を借りて仮住まいするドイツ将校を完全に黙殺、無視するのだが、ドイツ将校はそんな彼らに多少のうしろめたさ、気まずさ、ぎこちなさをおぼえながらも、応答や反応をほとんど期待せぬまま、暖炉の前にくつろぐ彼らのもとに律儀にも毎晩やってきては、部屋をうろつきまわり、独り言を喋り続ける。いわくフランスの文学の層がいかに厚いか、いわくしかし音楽ならばドイツも負けない、いわくドイツとフランスは必ず幸福になれる、互いの精神を融和し欧州の文化と美をさらに高めることになるだろうと。ドイツ将校はもともと音楽家であり、音楽にも文学にも造詣が深い。伯父の書棚にある本棚を見て賛嘆の声をあげ、失礼ながらこの部屋は決して華美ではないが尊い魂が宿っていると讃え、なおも彼の言葉を無視し続ける二人に対して、貴国を誇り尊重するあなた方お二人を尊敬していますと言葉をかける。それはお世辞でもなく社交辞令でもない、言葉によって相手や自らを救おうとするでもなく、関係を改善させるでもなく、ただ発される。期待はしないが決して絶望もしない、共感と賛嘆の思いを込めた、誰でもない相手への投げかけとして続けられる。

あまりにも夢想的で非現実的であるがゆえに、頑なだった伯父と姪の心は少しずつほだされていく。ドイツ将校はこの作品においてそのような役割を担った「客」として、はじめからその家に来た。だからこれは占領下におけるあまりにも奇跡的な邂逅であり、あの家の中だけで起きた両国間の想像上の和解(の端緒)でもあった。この物語自体がひとつの夢想、ある想像として描かれたものと言って良いだろう(だからこそ映画冒頭には「あの戦争の記憶が人々の間に残り続けるかぎり、この作品はその問題を決して解決しない」との宣言を、まるで自己への戒めであるかのように示す)。