先週あたりから朝の通勤電車内は完全に夏休みモード。

子供の頃、剥いた桃の果肉の表面を見ていて、それがまるで人間の皮膚がひどく炎症を起こしたありさまに見えて、それ以来、桃を食べられなくなったことがあった。

果物が奥底に隠し持っている、皮膚感覚の痛み、炎症や火傷や化膿の苦痛が潜んでいることに子供はおびえて、背筋をぞっとさせた。これが、今ここに実際の痛みを感じていると思った。

はじめてボナールを知ったのは高校二年のときだ。美術予備校の図書室で知った。当時の僕はボナールに心奪われるという状態ではなかったはず。でもそういう人は、かならずいた。ボナールが、ボナールが、、と繰り返している彼のその口調を、今でも思い出す。

ボナールの絵肌は、どこか剥いた桃の果肉の表面に似ている。そのことを思ったのが、高校生のときだったのか、たった今なのか、はっきりと判断がつかない。