能であること

銀座の観世能楽堂で第二十九回能尚会。番組は仕舞に続いて能「高砂」、狂言「箕被」、仕舞に続いて能「望月」。

そこには「高砂」とか「望月」といった物語があてはめられているが、能はおそらくその物語を語ろうとしていない。能は、たぶん能の時間をつくり出そうとすることだけを考えている。

ほとんど静止している。しかし少しずつ動いている。時間を遅らせるというか、時間の流れに逆らおうとする。川の流れと反対方向へ歩こうとしている。川とは違う流れと力であることを示す。

音楽であれば、いきなり演奏をはじめて、演奏前と演奏後を一気に塗り替えてしまうことが多い。その境目がくっきりしているというか、たいていの場合、始まりも終わりも明確だ。

能もそうだと言えばそうなのだが、ただ能の場合、前と後に対する感覚、自と他に対する感覚が違う。その感覚的違いが、能全体をあのような姿に決めてしまっているとさえ言える。

自と他の境目が曖昧だというわけではない。むしろ厳格に分別したいのだと思う。だからこそ、あの速度が要請されるのだと思う。

舞踏や演劇の危うさというものがある。一歩間違えればその取り組みが崩壊してしまう不安。それが演劇なのか目の前のただの異常者の振る舞いなのか、それがあくまでも芸事であり芝居であるとわからせるために、演劇という枠がある。しかしその枠は本来、とても頼りなくて不安定だ。舞踏や演劇はそのことにいつも慄いている。

能が能であることに必死である状態を見ているうちに、柄谷行人の「ヒューモアとしての唯物論」が思い浮かんでしまった。自らの内側に超越的な視点を取り込んでしまい、それにおいて(そのままこともなげに)、考えるということ。

能が、能ではない状態、能が非成立な状態、その「危うさ」というよりも「不真面目さ」が、目の前のどこかにあるのではと思った。

「ヒューモアとしての唯物論」では、正岡子規が自分の死後をあれこれ考えて日記に綴っているのを、もしかすると彼の友人たちは、彼の死後に読んで笑ったかもしれないとある。

フロイトの考えでは、ヒューモアは、自我(子供)の苦痛に対して、超自我(親)が、そんなことは何でもないよと激励するものである。それは、自分自身をメタレベルから見おろすことである。(講談社学術文庫140頁)

「ヒューモアとしての唯物論」に田中小実昌は言及されてはいないが、されていてもおかしくない。田中小実昌は自分の死後をあれこれ考えることがなかった。むしろ死ぬことに対して無頓着だった。瀕死の状態でありながら、その悲惨さ、その苦痛を肉体で表現することがなかった。だから横たわる彼を診た軍医は「お前、死ぬよ」とわざわざ告げる。なぜ彼がわざわざそう言ったのかわからないけど、それはおそらく、横たわっている病人があまりにも死に対して「不真面目」だったからだ。死ぬ直前の人間は、もっと悲壮でなければいけないはずなのに、これから人間ではなくなろうとするその病人は、そうじゃなかった、そう見えなかった。

能の時間の進み方、地謡がうたい続けるあいだ舞台上のほぼすべてが静止している有様を観ていると、安心と不安の狭間をいつまでも揺れているようだ。それは川の流れの抵抗が、思いのほか強いことへの戸惑いだ。能を観るというのは、それを感じること以外でもあるだろうか。