佐藤

日本映画専門チェンネルで手嶋悠貴「映画:フィッシュマンズ」(2021年)が放映されていたのを、何となく見ていて、見ているうちにその映像内に映し出されているものにからめとられて気分を支配されてしまい、すっかり沈鬱な精神状態にさせられてしまった。

とにかく佐藤伸治の負の圧が強すぎた。もちろん本人はすでに死んでいるので、回想シーンと共にさまざまな関係者の証言によって生前の佐藤伸治が語られているのだが、それをじっと聞いてるだけで、抗いようもなく鬱々としてくる。有体に言ってしまえば、ぜったいこんなヤツに近づきたくないとさえ思う。黙りこくって、機嫌の悪さを隠そうともせず、半笑いの薄笑いでイヤミを言い、あとは自分のなかに閉じこもる。どんなにすごい才能のあるすごいヤツだとしても、こんなヤツとバンドを組むなんて最悪ではないか…。でも、そんな風に思うことすら出来なかっただろうというのもわかる。誰もがフィッシュマンズであり、誰もが当事者だったのだ。ちゃんとやれよ、本気で考えろよ、そんな言葉を言われれば、誰もが自分に出来ることや自分の漏れ抜けを必死に探し、足掻くようにして自分の仕事を見出そうとするだろうし、それを突き詰めていけば、状況によっては脱退の道も開けてしまうだろう。果たして事態はそのように進んでいく。みんなそうやってやめていくんだよ、だから君もぜったいやめるよ、佐藤伸治は得意の半笑いで冗談めかして目の前の相手にそう言う。相手は怒りをたたえて黙る。最悪の空気、最悪の関係、そんな中で、また、あたらしい音楽が生まれる。

今の柏原譲の、ほとんど突き放したような態度と声色で語られる昔話に、まさにその視点から見た、虚飾ない過去の手触りだな…と思わされる。そして今も昔もあまり変わってないようにも見える茂木欣一という人の、変わらぬ当たりの良さの印象と言葉に、誰もにその人なりの本心があって、それを口に出すやり方ももちろん人それぞれなのだな、と思わされる。