みんなのヴァカンス

渋谷ユーロスペースでギヨーム・ブラック「みんなのヴァカンス」(2020年)を観る。おもしろい、楽しかった。今回の特集上映で見ることのできた過去作品も含めて、ギヨーム・ブラックのなかで僕はこれが一番好きかなと思う。まったくどこにでもある、何の変哲もない、ありきたりの、ありふれた、手垢にまみれたような題材のお話なのだが、そんなこととは無関係に、場面ごとに、その一瞬ごとに素晴らしい。途中から、きっとこれはもう最後まで、ずっと楽しいままのはず、そう信じて良いと自分に言い聞かせながら観ていた。

雨天、晴れ間、日差しと木の影、そして川の流れ、水面を輝かせる光の反射、ほとばしる白い飛沫、水着の子供たち。それらとほぼ同等な、各登場人物たちそれぞれ、たとえばフェリックスの黒い肌と白い歯、笑い声、シェリフの巨躯と気遣いの様子、エドゥアールが楽しさに高じたときの夢中な態度、お互いがお互いを勝手に思いやりながら、それぞれ勝手に別々の時間を過ごしたり、たまに向かい合ったりしてる。

シェリフは真面目で、貧富差とか教育機会などの話題を自身の出自などもあって一般論以上の問題として考えているけど、でもそれはこうあるべき実感の思いから来る意志に基づくものだ。食料品店のバイトしながら大学の勉強を熱心に続けているし、向上心もあるし、その意味ではまだ社会を信頼しているだろう。納得行かぬ側面もあるが、もっと良くなるはずと信じてもいるだろう。その一方で、プライベートではベタにナンパとかをするタイプではなくて、ヴァカンスの時間なんて正直手持無沙汰で、たまたま出会った赤ちゃんを世話するお母さんと知り合い、彼女の話し相手兼子守り役みたいにして時間をつぶすよりほかなかったりする。それでも彼はフェリックスの良き話し相手だし、エドゥアールとも気兼ねなく一つのテントを共有する。

フェリックスは思い込み激しいやつで、期待に胸が膨らんでいればニコニコご機嫌だし、心に暗雲が立ち込めれば周囲のことなど一切意識にのぼらず、自分の不安のなかに閉じこもる。豪快で乱暴なようだけど、じつは繊細で嫉妬深くて、ちまちまとみっともないはずの自分を上手く制御することも出来ない、良くも悪くも典型的な男子野郎だ。フェリックスは、ほんとうに馬鹿なやつで、こういうやつを映画で見るのは久しぶりだ。

エドゥアールにとって世の中はまだまだ知らぬことばかりで、負け組だの子猫だの言われてからかわれようが、彼にとっては未だ未開封の楽しいことが未来に数えきれないほど山盛りになってる、突然正義感が噴出したり、言い出したらそれに固執したり、なにしろまだ若くて何も知らない彼にはこれから、期待と不安に満ちたすばらしい年月が待っていて、きっとこういう夏がまた何度でも来る、それを身にしっかりと予感してしまった、この日々が掛け替えのないひとときだったろう。

自転車で山の頂上までやってきたフェリックスは遅れてやってきたエドゥアールに、こんな山の頂上に吹く風は最高だな、と話す。エドゥアールも気持ちよさそうな表情で頷く。こういう何でもないくせに忘れがたいような場面が、いたるところにあって、それらが一々、記憶に濃く残存する。彼らのしぐさや表情を見ているだけで、もう充分というか、それ以外に観ることがないような感じがする。避暑地にヴァカンスに来たのだから、そういうこと以上の何かをわざわざ考える気も失せるというものだ。みんなが、それぞれ勝手に、楽しんだりガックリしたり、思い思いに過ごしていただけだ。

彼ら三人は最後、一同に会さなかった。映画が終わったあとで、彼らはまたどこかで待ち合わせただろうか。でも映画は、彼らが出会ってからラストまでの数日間を、最後にまとめて統括するような場面もなく終わってしまう。でもそれでいい。あーそうなんだ、これで終わっちゃうんだ、もう終わりなのかと、過ぎ行く季節を惜しむことさえ許してもらえない。夏が終わるなあ…と。