日本的四面体

レヴィ=ストロースの料理の三角形は、生あるいは焼いたもの、燻製あるいは火をかけたもの、煮たものあるいは腐ったもの、の三つで構成されている。

それぞれが橋渡される際に、生あるいは焼いたものから燻製あるいは火をかけたものへの変化には、空気の介在が増し、生あるいは焼いたものから煮たものあるいは腐ったものへの変化には、水の介在が増す。対して玉村豊男による料理の四面体は、火で焼いたものを頂点とした各変化形態として、油、水、空気の三つが底辺角をなす。

レヴィ=ストロースとしては、調理方法を分類したいのではなく、生あるいは焼いたもの(自然)が、水あるいは空気によって料理の方法を変える(文化)様態を図式化したかったのだろうと思われる。それが玉村四面体では、いわば日本人中心の問題に書き直されているとも言える。

玉村四面体では燻製、つまり火の作用を受けたものが、「火」の大要素へ返されてしまっている。これはこれで妥当な気もするのだが、そもそもなぜレヴィ=ストロースが、薫製・火にかけたものを三角形の左辺に位置づけたのか、図式を単純で説得力あるものにするための簡略を効かせているということかもしれないが。

玉村豊男による料理の四面体はとてもよくできていると思う。揚げ物ライン、煮物ライン、焼き物ラインが斜め柱として構造を支えて、干物、汁物、煮物、揚げ物、が、それぞれ斜め柱の中程に引っかかっているのが、いかにも日本的な感じがする。たとえば、寿司はどこに位置するのか?と思うけど、それは間違いなく空気のところだろう。

しかし前者と後者とのもっとも大きな相違は、要素に油を加えないか加えるかであろう。油を取り入れたために、玉村四面体は抽象的な原理性を弱めてしまっている。が、それゆえにきわめて現実的なものになっている。