咲いてしまう

家の前の桜が、もう咲いてしまっていた。咲いてしまっているという言い方をしたくなる感じだ。留めようがなく、持ちこたえることができず、なすすべなく、手の施しようもなく、その過失の結果。という感じだ。冬が収縮・滞留で、その反動として春が解放・弛緩という、単純なことではなくて、解放・弛緩それ自体としての解放・弛緩。外的な抑圧からの解放ではなくて、それ自体としてほどけていく。これ以上分割できない単体要素の流れとして、そのまま咲いてしまう。咲いてしまっている場所へ、たどりついたかのように。