実在化

自分がかつて子供であったというのは、つまり自分がかつて子供の身体に近しかったということでもある。だからもしかつてのように、自分が自分の中の何者かに問いただして、それとの折衝の結果、あの感触が返ってくるならば、自分は今でもまだ子供である。今も自分は常におびただしい回数の知覚的やりとりをくりかえしていて、それをしているかぎりにおいて私は私の継続を意識できるのだけど、自分がここにこうしていて、ここにいるのがこの私であると思っているかぎり、その周囲には無数の物質的破片がちらばっているし、そこには当然、子供時代の自分の身体もある。

共感、共可能性というとき、あるなつかしい他人の温もりを思い浮かべても良い。もちろんそれも実在化を経た私の感覚が成したものだ。そこに誰かがいるという、もっともうつくしい私だけの知覚。過去の記憶と、傍にいる誰か、相互観測によってもたらされる知覚的な幸福。いくつものショット。非作用に落ちて沈む物質たち。おびただしいイメージそして時間。