日本映画専門チャンネルで、五十嵐耕平「SUPER HAPPY FOREVER」(2024年)を観る。とても周到に考えられた、秀逸な脚本の面白い映画だけど、こういう秀逸さは過去にもどこかで見たことのあるような、よく出来た映画だと簡単に感想を言えてしまうような感じでもある。前半に出てくるさまざまなアイテムが、ひとつひとつ後半で律義に回収されていくのを見ていると、最初に決めた狙いに対して真面目な作りだなとは思うのだが、でもこれをやるために、奥さんははじめから死んだ人の設定だし、出会ったその日は携帯電話を未所持でないと物語の都合上ダメだったのだと。しかも結婚とそれ以後の生活と奥さんの死そのものは描かれてなく、残された主人公の夫の喪失感も奥さんの死と同様に本作の前提としてあって、そういう事前設定が、なんだかモヤるのだよなと。後半の夫と奥さんとの出会いがやけに生々しく、良い感じで描かれるので、後半のそれと前半とが、アンバランスに感じてしまう。
「SUPER HAPPY FOREVER」とはつまり主人公の友人が最近ハマッてるおそらく新興宗教のことだろうが、この友人がそういうのにハマってるのを、主人公は快く思ってないのだが、友人が彼にかけるアドバイスは「お前は物質にとらわれている、でも現実は物質のみではない、現実はひとつじゃないんだ」と、それなりのロジックで、主人公にはまったく響かないけど、その言葉自体にはある種の説得力があるように感じられる。偶然出会った信者の女二人の、如何にも視野狭くて独善的な、新興宗教と言えばこんな感じみたいな態度が、主人公を苛つかせるのだが、友人はそういうタイプではなくて、彼の傍らで方丈記の一節を諳んじたりもし、生活と信心のバランスに歪みは感じられず、だからこそ主人公の彼に対しても献身的で心遣いを絶やさないだけの余裕があり、失意の彼の力になりたいという思いには、何の下心もなさそうだ。しかし主人公は宗教の力を借りている友人を、最後に怒らせることになる。
この映画にはおそらく、けっしてスピ系な救済ではなく、失われたはずの何かがこことは別の時空や別の世界に、確固として存在していることこそを救済と考えたい、そのような意味合いを込めているのだとも思う、ではあるのだが、こう書くと、それは理屈ではあるけど、それだけだなあ…と自分で書いてそう思う。
ロケ地は下田とか伊東らしいけど、とにかく晴天の好天の外の光が最高に素晴らしく、またホテルの部屋の窓から差し込んで登場人物らの片側をふわっと明るく浮かび上がらせる自然光も素晴らしい。けっこう波が高い砂浜もうつくしいし、とにかく光のきれいさに終始満たされているところがひたすら気持ちいい。