枠からはみ出している事


僕は昔から、絵を斜めから観るのがとても好き。というか、癖だ。側面を確認したくなる。一ヶ月ほど前、武蔵野美術大学で、「見ること/作ることの持続」という展覧会がやっていたが、そのとき岸本吉弘氏の作品がはじめて僕の視界に入ってきたときは、軽くショックだった。


入り口から、壁伝いに順々に展示されている絵を観ていたのだが、依田寿久氏の絵から、次の作品に移ろうとしていて、移動しながら行く手を見ると、掛かっている壁と、鈍角の角度をなして繋がる次の壁に、岸本吉弘氏の作品が3点掛かっており、その作品というのが、キャンバスが木枠に張ってあるので、画面の正面と側面があるけれど、側面にも、絵の具が付いている場合、まるで図が画面からはみ出すような感じに見えて、すごいドキッとした。その全体を斜めから観るもんだから、各作品の「図」として感じられる部分が、筆致によってキャンバスの側面まで大胆にはみ出していて、つまり、緑色の巨大な色の塊が絵の枠をはみ出して存在しているように感じに、見えたという訳。


あと、前に観たSCAI THE BATHHOUSE での神谷徹氏の作品では、各作品の支持体パネルの裏側が中心から端に向かって、皿の裏側のように、なだらかにシェイプされており、この処理が施されている事で、壁に掛かった場合、前面の画面は壁から若干浮き上がったように見える。この場合は、前述した、画面の正面と側面の、「側面」部分がすっかり無くなったような効果を与える。「絵画」らしさはあまり強くないが、平面的な物質性を強く感じさせる仕掛けが、カッコいい。最近流行の家具のような薄っぺらな感じが、逆に儚い雰囲気で良い。


ところで、画面のキワというのは、その角に、筆を強く擦り付け、絵の具をしっかりと付けたりしたくなるような、何か…激しく何かしてやりたくなるような、そういう感じがあるが…。まあ、自分はかつてライターの炎で焦げ目を付けたり散々やった訳だ。


というか、唐突に思い出したが、自分は昔、絵の前面にガラスかアクリル板を嵌めるのが好きだった。確か学生のときは、180×2のパネル画面と同サイズのアクリル板を用意した。もう、目の前の画面に、そのアクリル板を重ねたいだけです!というだけの、作品であった(笑)。


自分の場合、ぱきっと明確にしっかりしてるか、ぐにゃぐにゃのふにゃふにゃか、どちらかの両極端で、画面を作って来たような気がする。今、ずいぶん時間が経ったから、結構冷静に、思い出せて、判る事なのだが、なんかそういう感じだ。しかし、今日は完全に自分のためだけのメモ書き文だな。ってか、いつもそうか(笑)