2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧

YOU

NHKのテレビ番組「YOU」より誰でもミュージシャン 坂本龍一の音楽講座(NHK放送日:1982/6/12)誰でもミュージシャンパートII YMOの音楽講座(NHK放送日:1983/6/11)を観た。(CS歌謡ポップスチャンネル) 1982年、坂本龍一は30歳前後だ。「CODA」で喋ってい…

Ryuichi Sakamoto: CODA

NHKの放送を録画して、スティーブン・ノムラ・シブル「Ryuichi Sakamoto: CODA」(2017年)を観た。 坂本龍一が、タルコフスキーの「惑星ソラリス」の映像に見入っている。そのイメージと音に強く魅了されているのがわかる。タルコフスキーに使われてしまった…

金曜夜

数年ぶりにYさんと会う。金曜夜の横浜は賑わっていて、少し急ぎ足で西口周辺を彷徨い、取り急ぎ空席のあった適当な店にすべりこむ。安居酒屋は満席に近くて、誰もが大声で喋っていて、店内が喧噪に包まれているので、向かい合った我々の声も自然と大きくなる…

期待と郷愁

未来への期待という感情、そして過去への郷愁という感情。 あのときの、まだ子供だった自分が、何かをきっかけにして、これから来たるべき未来に強い期待をいだいた。ああ、きっとこの先は今よりもっと、楽しいことばかりに違いない、そんな根拠なき確信をも…

音質

再生した音楽をiPhoneのスピーカーから出力するとき、その音が弱くも感じるし、それでもこんな小さな筐体から出る音にしては充分高品質にも感じる。 そしてこの音と同等か、もしくはよほど劣悪な音質で音楽を聴いていたのが、十代とか二十代の頃だっただろう…

野菜炒め

小学生の頃、仲の良い友達のグループがさらに友人を呼びこんで、秘密裡に「お気に入りメンバー」だけの集団を作って、その者らで学校近くの空き地で野球をやって遊んでいた。その野球を、彼らは「野菜炒め」と呼んだ。「野菜炒め」に参加できるのは選ばれた…

四月の朝

朝、家を出てから駅まで歩く途中の十五分くらいのあいだに、なぜかやけに何十年も前の昔のことを思い浮かべてることが多い。何十年も前の、些細な、とりとめもない、どうでも良いようなことが、いくつも湧き上がっては消えていく。それがなぜなのか、なぜ朝…

序の舞

能が行われるのは能舞台だが、その舞台とはあるひとつの風景とかあるひとつの空間を示してなくて、それは出来事によってその都度読み替えられるための仮想空間のようなものだ。 たとえば映画での「スクリーンの外」。スクリーン上の人物が見ている視線の先が…

枝豆

八百屋に枝豆があったので買った。まだ小粒で生硬。それでも自分で塩を加えて鍋で茹でて皿に盛った枝豆は、それだけである季節に今の自分が進行形で生きていることを実感させるだけのものがある。それにしても、生姜であり、玉葱であり、刻んだ葱であり、枝…

緋文字

ザ・シネマメンバースで、ヴィム・ヴェンダース「緋文字」(1972年)を観る。 まだ、ヴェンダースが自らの手ごたえを掴む手前なのだろうと思いながらも、その確かな手ごたえの、ほんの直前にまで来ているかのような感触が、そこかしこに感じられる気がして、な…

読書

たとえば旅行。旅行はふつう、いつかは帰宅するものだ。帰宅までが旅行。でも結果的に、帰宅しない旅行もあるだろう。そういう登場人物の行動が描かれた映画を、観たことがある。それは結果として旅行とは言えないかもしれないが、当初は旅行だったのかもし…

場所

十代や二十代の頃にはわからなかったことが、三十代やそれ以上になってわかってくることもあるし、年齢を重ねるのは悪いことばかりじゃないでしょうと相手に言ったら、年を経るとどんなことがわかるようになるんです?と聞かれる。うーん、そうねえ。たとえ…

グラス

先月と先々月と続けてワイングラスを割ってしまった。 ほぼ毎日使うのだから、いつかは割れて当然で、割れたら消耗品のごとく平然と買い替えれば良い。ずっとそう思い続けてきたのだが、短い期間のうちに続けてふたつ失ってしまったことで、少し精神的にノッ…

兄弟

「わたしの見ている世界が全て」の、彼らの実家の風情がとても良かった。この家は手前に生活雑貨売り場があって、奥に食堂の席が並んでいて、脇には厨房の出入口がある。お店構えは微妙で、一見どこが店の入り口かわからないけど、立て看板や張り紙のある、…

わたしの見ている世界が全て

kino cinema立川髙島屋S.C.館で、佐近圭太郎「わたしの見ている世界が全て」(2022年)を観た。面白かった。 森田想演じる主人公は、学生時代から始めたベンチャー事業がそこそこ成功して、自他共に認める誇らしいキャリアを重ねていて、仕事の手応えも感じて…

デジャヴュ

先日、久々に強力なデジャヴュを味わった。仕事中、電話の向こうの相手と話をしているときだ。 そのとき相手が言った言葉と、それに対する自分の返答、さらに続いた相互やり取りの一部始終が、丸ごとそのまま、そっくりそのまま、かつて一度体験したはずでど…

マックス、モン・アムール

Amazon Primeで大島渚「マックス、モン・アムール」(1986年)を観た。フランス映画の体裁ではあるけど、妻が異形の者と関係をもつときの、夫の狼狽というか不安というか、日常に突如として刺し込んでくる不条理のニュアンスは、近代日本文学に近しい感じもあ…

戦メリ

大島渚「戦場のメリークリスマス」(1983年)を、なんとなくの最初の30分くらいまで観ていた。この映画は昔、テレビ放映されるごとにさんざん見たという印象があるのだけど、今調べたらテレビ放映がそれほど何度も繰り返されたわけではないのかもしれない。だ…

セクハラ

セクハラで訴えられた。自分の愚かさを笑いたくなる。償いよりも、まず真っ先に自分を罰して粉々にしたい。 これから自分は、身の回りにある多くのものを失い、身内を悲しませ、関係者を怒らせ呆れさせ、多数の罵倒や嘲笑にさらされ、石もて追われ、法のもと…

師弟

師弟関係というのは難しいものだろうなと思う。最初から最後まで、関係が良好なままであることのほうが、稀ではないかと思う。 師弟関係は崩壊して当然で、むしろそれが自然ではないか。そうならないようにお互いどこかで気を使い合うなら、そうでもないのか…

ハロー・グッドバイ

録画しておいたNHK【スコラ 坂本龍一 音楽の学校】の 「ドラムの演奏におけるリズム論」(ゲスト:高橋幸宏・細野晴臣)の回を見た。この番組は、初回放送時も見たけど、すでに十二年も前のことなのか…。 高橋幸宏がもっとも影響を受けたドラマーはリンゴ・ス…

囚われの女

ザ・シネマメンバースで、シャンタル・アケルマン「囚われの女」(2000年)を観た。アケルマン監督作で、男性が主人公の作品を観るのは、これがはじめて。そしてアケルマン的な男性は、つねに男性自身の問題の内側でひたすら苦しんだり楽しんだりしてるだけで…

個人

保坂和志「小説的思考塾vol.10」を配信で聞きながら…そういえば、昔の定期券でのキセルってあったなあ…と思った。まだ切符も定期券も磁気カードですらなくてただの紙だったので、入退場記録が残るわけでもなく、改札での切符チェックが駅員の目視だけだった…

ことの次第

ザ・シネマメンバースで、ヴィム・ヴェンダース「ことの次第」を観る。すばらしい。 資金もフィルムも無くなってしまい、撮影を中断せざるを得なくなった映画制作スタッフと役者たちがいる。彼らはポルトガルの海辺に建つホテルでの待機を余儀なくされる。事…

割り箸の袋

安居酒屋で、若者たちの飲み会が盛り上がっている。必要以上に大声を張り上げて、大げさに呼応し合って、怒号と叫びと爆笑が重なって、みんなで必死になって、楽しさという名の確からしさ、満足にいたれる、納得できる手ごたえに辿り着くために、一人一人が…

におい

朝、歩きタバコで歩いてる人と、駅までの同じ道を歩くことがある。もちろん知り合いとかではないので、お互いを意識もせず、少し距離をおいて歩いてる。その人の背後は、タバコのにおいが盛大に残るわけだが、後ろにいるときの自分は、あまりタバコのにおい…

改正

朝の電車のダイヤが改正されて、そうなると最寄り駅で見かけるいつもの人たちとの、乗り合いの景色がこれで消えたことになる。駅始発の電車を待つために、いつもの人々が並んでいて、電車のドアが開くと彼らはやや急いで、しかし毎朝のことなので定常行動の…

創作

個人が特定できてしまうような記述を避ける、あるいは守秘義務を守るため、たとえば会社での出来事とか、会社に関することをここに書くとき、身元や固有名をぼかすための配慮はしなければならないが、自分の場合はFさんやMさんのように伏字を使うよりも、適…

キャリアイメージ

日曜日の午前中、誰もいない会社にひとりでいると、居室内はサーバー機器のファン音がかすかに響いていて、外の喧騒は窓ガラスを通してかすかに届いていて、春の眩い光だけが、遠慮なくなくめいっぱい室内へ注ぎ込んできて、窓際の席から交差点や歩道を行き…

土壌

すぐれた芸術家だけが、新たなスタイルや、新ジャンルを確立したりする。ときにはそれが、時代の節目になり、音楽史や美術史や文学史に、新たなページを付け加えるだろう。 すぐれた芸術家の作品を鑑賞する我々はそれを観て、このスタイルを史上はじめて実現…