2022-11-01から1ヶ月間の記事一覧

College Tour

アルバート・アイラ―「Spiritual Unity」が名高いアバンギャルド系ジャズのレーベルESPのラインナップが初CD化されたのは、僕の記憶にある限り1992年とかそのあたりだった。当時学生だった僕は、それではじめてESPというレーベルを知って、はじめてマリオン…

インスタ

インスタグラムでランダムに表示されてくる動画は、あれは僕の過去の履歴や嗜好を反映しているのだろうけど、かなり疑問というか不思議に感じられるものばかり出てくる気がする。もしかすると誰でも見たことがあるのかもしれないけど、というか、かつて過去…

刺し盛

今の世の中、本当に人手不足なので、そのおかげでこちらも大変に忙しい。人手不足のあおりで忙しいというより、人を確保するのがなかなか上手くいかなくて忙しい。例えは悪いけど、どれだけ釣り竿を下げて釣糸を垂らしても、小魚一匹釣れなくて、むしろ魚の…

かつての場所

久々に、歌舞伎町周辺を歩いた。三十年前とか、二十年前とか、そういったレベルの記憶にあるだけの、あまりにも遠ざかって久しい場所が、今ではこうなっているのを見たとき、その違和感というか、幻想崩壊の衝撃を感じながら、この実在の景色を見回しかない…

久しぶりにEさんと会ってカウンターの店に行く。どんな店か知らずに行き当たりばったり、その場で電話予約して入れてもらえたのだが、順序にしたがって次々と出されるグラスワインに小さなオードブル皿が付く、いわばペアリングの食事とワインを反対にしたよ…

待機

昨日の夜のことだが、帰宅時の電車内に一時間以上閉じ込められた。夜九時過ぎに横浜を出発した東海道線が川崎の手前で停まり、そのまま十時半過ぎに動き出すまでひたすら車両内で待たされた。 乗客もまばらで、その意味ではまだマシだったけど、そういう状況…

ゾンビ

XとYの違いを判別出来るけれども、XとYの違いを感じてはいない、それが哲学ゾンビだ。 私はXとYの違いを判別出来るし、XとYそれぞれに違った印象をもつ。「違った印象をもつ」ことが僕がゾンビでない証拠だ。 デジタルカメラもXとYの違いを判別出来る。その…

ドーハ

サッカーの話題が賑やかだが、最近はもはやスポーツ中継をテレビで自ら観戦することがほぼない。何でも見ればそれなりに面白いというのはわかっているので、あえて距離をとっているとも言える。サッカーはむしろ小学生の頃によく見ていたし(土曜18:00の「…

強者

浅田彰と島田雅彦の1988年頃の対談「天使が通る」などという、古い本を読んでいた。 浅田 (…)やはり<強者>と<弱者>の問題というのが重要だと思うんです。これはさっきのファシズムの問題ともつながるけれども、ニーチェの<強者>というのを普通の意味…

旅行

レヴィ=ストロースは「悲しき熱帯」の冒頭「私は旅や探検家が嫌いだ」と書き出す。それは民族学者として研究素材や記録を収集するにあたって、旅は思いのほか非効率的で無駄な時間が多く、些少な情報価値を得るには見合わないほど多大なコストを必要とする…

日本的四面体

レヴィ=ストロースの料理の三角形は、生あるいは焼いたもの、燻製あるいは火をかけたもの、煮たものあるいは腐ったもの、の三つで構成されている。 それぞれが橋渡される際に、生あるいは焼いたものから燻製あるいは火をかけたものへの変化には、空気の介在…

やまぶき

渋谷ユーロスペースで山﨑樹一郎「やまぶき」(2022年)を観る。 韓国人の男がいて、子連れの女と共に暮らしている。刑事がいて、その娘の高校生がいる。その娘を好きになる同級生の男がいる。刑事と娘の家には、妻の遺影がある。刑事には愛人がいる。三人の窃…

三角形と四面体

檜垣立哉「食べることの哲学」でも言及されていた、レヴィ=ストロースの料理の三角形と、それを現代の料理手法に沿ってより細かく分類した玉村豊男による料理の四面体の図。ネットで調べたら出てきたわかりやすいのが以下。 https://www.jstage.jst.go.jp/a…

食べられる

檜垣立哉「食べることの哲学」を読んで、とりとめもなく考えたこと。殺して食べる以上、殺されて食べられる可能性はある。というのが生き物全体に共有されるルールであるはずだが、人はほぼそのルールの適用範囲外とみなして良いほどの地位を獲得していると…

なめとこ山の熊

青空文庫で、宮沢賢治「なめとこ山の熊」を久々に読んだ。 宮沢賢治という人は、文学とか芸術とか、そういうことはおそらく、別にどうでもいいというか興味がなかったであろう人物で、当人としては何しろ、我々の生きるこの世界が、願わくば法華経的な解決へ…

ドラ・マール

ピカソはドラ・マールの顔を見た。ドラ・マールという女性の顔をひたすら見たということを、その作品が証明する。ピカソが描いたドラ・マールの肖像はピカソという画家の作品だが、ピカソ当人にとってそれらは、彼が見たドラ・マールの記憶の束のようなもの…

ある程度年齢を重ねた人間が、夢を見るとき、若い頃の自分を登場人物とした、今の自分が昔の自分を見下す視点からの夢を、見がちだろうか。それは結局、昔の自分が今の自分にとって、もっとも親しみ深いフィクションの登場人物だからか。 昔の自分に向かって…

彷徨う

最近、なぜか学校のような場所、あるいは集団生活状態の場所をうろうろと彷徨うような夢を見ることが多い。 誰もいないガランとした建物を彷徨っている。その建物は見慣れたよく知っている場所で、進む方向の先には何があるか、階段を上がったらどうなってい…

ベルクグリューン美術館展

上野の国立西洋美術館で「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」を観た。最初の部屋にあった、セザンヌ夫人の頭部の、そこにある閉じ切ってない紡錘形のイメージが、他の絵も含めて会場全体をゆるく支配しているように感じられた。それが…

サンドイッチ

胡瓜にはビネガー、サンドイッチ 玉子にはマスタード、サンドイッチ トマトにはバジル、サンドイッチ 温めた野菜にアンチョビ、サンドイッチ 明日の朝はサンドイッチ、コーヒーは淹れたて、立ち昇る湯気 塩と胡椒、タバスコ、ハラペーニョソース、唐辛子 サ…

王様

19世紀までが、全体とか意味とか世界とか、その核心をとらえようとするための挑戦の時代だったとすれば、20世紀はその取り組み自体への懐疑、いったん退却してからの作戦練り直しの時代だった。というか、練り直すということ自体の不可能さ、そのような取り…

キタイ・有元

R.B.キタイの画集を適当にぱらぱらと見てみた。60~70年代のアメリカの社会事情がそのまま絵画になってるような、きわめて時事性の強い、社会告発的、ジャーナリスティックと言っても良いようなテーマの作品が連なっている、にもかかわらず、なぜこれほどま…

ビハインド・ザ・マスク

自分にとって、日々の生活でもっとも多く顔を合わせる人物は妻だが、その次にはオフィス隣席の上司だろう。平日日中はずっと隣同士なわけだから、のべ時間で計算したら、ひょっとすると妻よりも長時間、顔を合わせていることになるのかもしれない。ただし妻…

ドレミ

「流れ」は、はじまりからおわりまでに順序が決まっている。これを編集することはできない。たとえば"ドレミ"という流れは"ドレミ"という順序でなければ「あの感じ」ではない。 さらに"ドレミ"の"ド"が担ってる感じと、"ミ"が担ってる感じは、中間にある"レ"…

リボルバー

新リミックスの、ビートルズ「リボルバー - スペシャル・エディション」は、とりあえず左右にくっきりと分かれていたステレオ配置の各楽器が、より自然な配置でミックスされ直しているだけでもありがたい。おかげで大変聴きやすくなった。ビートルズだから、…

日野

日野市の高幡不動から平山城址公園駅までを歩くことが、だいたい一年か二年に一度の間隔でのほぼ恒例行事のようになっている。登山ほどではないけど、散歩とも言えないくらいにはハードな運動、という感じだ。一昨日の休日がすばらしい天気で、そういったイ…

読む

本の読み方には、いまだに慣れない。もう少し正確に言うなら、本を読んでいる時間と、それをしている自分の感じている時間との折り合いのつけ方に、いまだに慣れない。本を読んでしまっている自分に戻ってきた瞬間のいたたまれなさに、いまだに慣れないと言…

外を歩いていて、もしかすると心のどこかで、常に感じているかすかな不快感があるとしたら、それは通りの壁だの塀だの店のシャッターだのに、政党とか政治ポスターの、人物の顔写真が貼ってあるのが、たまたま目に入ったときのそれだと思う。よくよく考える…

物質(ループ)

ベルクソン的には、物質も生物もシステムである。システムとは、相互作用するひとまとまり、である。…という時点で、やはり「…なんだそれは…」との思いをもつ。これは、そう思わないなら、かえっておかしい。 生物の相互作用→「感覚-運動システム」としての…

Real Love

妻がiPhoneで聴いていたJ-Waveの、番組のパーソナリティがクリス智子で、かかってる曲がメアリー・J. ブライジ"Real Love"だったので、ええっ、これでは、今と三十年前とで、何もかわっていないではないか、と思わず慄いた。別に昔の放送を聴いていたわけで…