2023-09-01から1ヶ月間の記事一覧

季節外れは承知の上で、はじめて、どじょう鍋を食べた。なるほどこれは、ホルモン(内臓料理)と同じく、つまり素材のクセを香味野菜と強めの味付けで打ち消しつつ成り立たせるってことなのだなと。 肉処理業界隈の人々にとっての食の知恵と、川っぺり一帯で…

毎年の健康診断というのも、なんだか飽きていたというか、なんとなく嫌になってきた。とどのつまり、要するに小試験を受けて合格か不合格かに一喜一憂してるだけのようなものではないかと思い始めた。それで実際に健康の度合いが客観的で科学的で信頼におけ…

色川武大「生家へ」を少しずつ読んでいる。小説の書き方というのを、ことあるごとに意識させられる。よくよく見ると、これはどのことも、それぞれ全然ばらばらで、つながってない。時系列的な何かを説明する気がないというか、結果的には時系列的に受け取る…

しかし過去記事を検索すると、ここはシャッフル再生について書くのが死ぬほど好きな人のブログという感じだが、音楽のライブラリをシャッフル再生して聴くことは多いけど、シャッフルの具合をなるべく良くしたくて、曲のつながりに面白い起伏や流れのような…

幸田文「おとうと」を先日読み終えたのだが、久々に読んだ幸田文は、以前ほどには自分に迫ってこない感じだった。幸田文的マゾヒズムというか「生」の受動体は、やはり父親と相対したときに、もっともきれいに光るのかなあ…などと自分勝手なことを考えたりも…

ビールをグラスに注いで、泡の立ち昇った白い雲が、やがてゆっくりと落ち着いて沈み行くのを見ていると、かつての自分の子供時代の、父親とかその知人らとか親類とか、昔のおじさんたちの。華やかで騒がしい酒宴の席を思い浮かべてしまう。 かつてその時代の…

Amazon Primeで、井口奈己「こどもが映画をつくるとき」(2021年)を観る。 映画の制作は共同作業で、誰もが別々の役割を担い、重要な役割もあれば、そうでもない役割もあって、苦労が報われなかったり、怒られたり批判されたり誉めそやされたり、それに傷つい…

絵を描く人が文章も書くというとき、文章を「絵の混沌、混乱、虚無、静寂」から救ってくれるもののように感じているだろうか。救うということは無いにしても、絵に流れる時間と、文章に流れる時間との違いが、別の川に浸かったようには思うかもしれない。 文…

絵を描くとき、たとえば薄く細い線を無数に重ねていくようなとき。それをやっている真っ最中は、描き手はただの行為機械みたいなものだ。その行為自体にはそれ以上の意味がともなわないことをわかっているので、ひたすら無機的にその行為を続ける。そこに意…

数日前に書いたことがMさんの19日付けで言及されているのを読んでいて「あれだったら(…)小学校と(…)中学校の校歌がメドレーで流れているほうがどれだけいいかわかったもんじゃない…」のくだりで、かなり笑った。いや、すいませんけど…そっちの方がぜんぜ…

雨上がりの半渇きの、黒と灰色と白のまだら状になった路面を、ビルの窓際から見下ろす。見慣れた景色が、少しばかり難しい色合いの組み合わせに複雑化していていつもより活き活きとして見える。 脱サラして都会の生活を捨て田舎に居を構えた若い夫婦の元をテ…

いつものこの時期なら、空気のどこか内側の奥底に、ヒヤッとするものが混ざりはじめて、季節の変わったのが潜在的に感じ取れるようなところがあったと思うけど、今年は逆に、潜在する部分がまだ何も変わってない感じがする。ここ数日で少しは涼しくなったと…

最近、古いロックばかり聴いているみたいだけど、先日ベック・ボガート&アピスの未発表テイクを含むライブ盤がリリースされたのを聴いていて、BBAはやはりジェフベックが残した最良の仕事のひとつだと思った。 この時代と言えばレッド・ツェッペリンが隆盛を…

TOHOシネマズ シャンテで、ウェス・アンダーソン「アステロイド・シティ」(2023年)を観る。ウェス・アンダーソンの作品は、毎年のように観てる気がする。前作を観たのは、たしか去年じゃなかっただろうか。と思って調べたら、ほんとうに去年の1月だ。 とはい…

テレビをつけたら「みんなのうた」が放送されていて、僕は棚の下をごそごそ探し物しながら、聴こえてくるその歌を聴いて、それがあまりにもあんまりな歌だったので、思わず妻に、まるで詐欺師の誘い文句みたいな歌だなと言った。世間知らずの初心な相手に、…

このブログを検索してみると、どうも自分は、意外なほどにザ・ドアーズというバンドのことが好きらしい。そんなはずないというか、あまり自覚ないのだけど、ザ・ドアーズに関して何か新しい音源だの映像だのリリースされれば、それなりにいそいそと入手して…

近くのスーパーの隣の空き地をたぶんタクシー会社が借りてて、そこに自社の車を何台も駐車している。おそらく手前に並んでる車はまともに動くやつで、たまに運転手がドアやトランクを開けっぱなして中を清掃してたりもする。その奥にずらっと並べられてるの…

低温調理機で、アジのマリネを作ってみて思ったのだが、自分は酢の物に対して、まるで経験も実績もなく、どんな按配なら美味しいと感じられるのか、その基準を自分のなかに持ってない。これは煮物でもそうである。つまり味を決めるために加える際の、砂糖へ…

小説的思考塾 vol.13〈保坂和志 + 伊藤彰彦:対話篇〉の配信映像を見ていた。80年代のサラリーマンは誰もがそれほど真面目には働いてなかったのに、金にはなってた。それが90年代半ばから、誰もがそれなりに真面目に働くようになったのに、金にならなくなっ…

久しぶりに蕎麦屋へ行った。ただし自分は鮨もそうだけど蕎麦も、美味しいとかそうでもないとか、その違いがあまりよくわからない。ただわからないなりに、わざわざ蕎麦屋へ行って何を、蕎麦だけに可能な、何らかの体験を得たいがために蕎麦を食べて、味わう…

久しぶりにお鮨屋へ行った。べつに高級店ではないけど、お鮨屋ならではの緊張感がうすく張っていて、お鮨は、そんな店内の空気と香りを吸い込むところから、カウンターの木の香りと、酢や生姜などの香りが混ざり合うところから、すでにはじまっていて、いま…

Amazon Primeで、マキノ雅弘「昭和残侠伝 死んで貰います」(1970年)を観る。 高倉健に、これまでいっさい興味なかった。何かつまらなそうな映画にばかり出てる人…という印象を子供の頃から持っていた。だから自分は本作を見て、はじめて高倉健という俳優を知…

妻は明日から、学生時代の友人らと計四人で旅行だそうな。 すごいことだ。同世代友人同士の女性四人が京都へ。まるで映画みたいに、それぞれ顔のクローズアップをとらえた切り返しのショットが想像されてしまう。 そして自分は、この週末をひとり、留守番で…

ビデオゲーム黎明期に子供だったので、インベーダー、ギャラクシアン、パックマン、ドンキーコング、ゼビウスと、ビデオゲームのグラフィックの進化をリアルタイムで如実に見てきた。ただし今思い起こすなら、それは技術進化というよりも、インベーダー以降…

美容院で髪を洗ってもらうときの、あの気持ちよさ。いい香りに包まれているのが快適なのか、しっかりと念入りに頭皮をマッサージしてくれる、他人のやや力のこもった指先の感触が快適なのか、そうやって人に身を預けて、自分の身の回りのことをお任せしてい…

台北という都市の華やぎ、その場に対する愛情というか、郷愁というか、せつなくなるほど甘美な思い出の記憶…といった感じが、エドワード・ヤンの作品には充ちているような気がする。都市や街並みをとらえた印象的なショットがあるわけでもないのに、映画を見…

昨日、日比谷から帰宅後にDVDでエドワード・ヤン「ヤンヤン 夏の想い出」(2000年)を観た。 ある後ろめたさ、許してほしい過去、目を背けていたい記憶、あるいはある気掛かり、不安、安心を許してくれない得体の知れぬ何か。誰もがそれを心の内に抱えている。…

TOHOシネマズ シャンテで、エドワード・ヤン「エドワード・ヤンの恋愛時代」(1994年)を観る。検索したら前回これを観たのは十六年前らしい…。 はじまって数分で、中心となるだろう登場人物らが矢継ぎ早に登場し、彼らの関係性や仕掛中の問題が一気に羅列され…

銀座の観世能楽堂で第三十回能尚会。番組は能「養老」、狂言「樋の酒」、仕舞に続いて能「鸚鵡小町」。仕舞に続いて能「葵上」。 しかし「鸚鵡小町」にはまいった。約一時間四十分のあいだ、舞台上に動きはほぼない。百歳を越えた老婆としての小野小町なる人…

明日観る予定の能舞台「葵上」について、簡単なガイドブックなどを確認する。しかし自分もいい年齢して、源氏物語さえロクに知らないのは、これは由々しき問題であろうとは思うが、知らないものは知らないのだから、仕方がない。 光源氏のかつての恋人である…