2023-05-01から1ヶ月間の記事一覧

眠りへ

電車の座席で眠っていて、目を覚ました。両隣にも前にも人がいて、電車の走る音が聴こえた。もう一度目を閉じて、目的の駅名を思い浮かべた。自分が会社に向かっているのか家に向かっているのかを忘れた。目を閉じたまま少し考えて、今が朝であることを思い…

いい感じの店

いい感じであると評判の店は、大抵いい感じではない。そもそも、自店がいい感じであることに自覚的な店は、いい感じではない。他人からの視線を意識してそれを保とうとするのが、すでにいい感じの店ではない。 ないがしろにされたくない、邪険に扱われたくな…

未来の駅前

駅前で、大きなマンションの建設工事が進んでいる周囲に、工事用の鉄壁が張り巡らされているのだが、その壁に「六十年後の駅前」というテーマで、地元の小学生たちの描いた絵が上下左右に並んで印刷されている。 小学生の絵だな…といった感じなのだけど、主…

上手い

猪熊弦一郎は1938年に渡仏して、マティスに会って自分の絵を見せたときに「おまえ上手いな。上手すぎるんじゃないか。」と言われたらしい。「おまえピカソが好きだろ」とも。 猪熊弦一郎はたしかに上手い。上手すぎる。よくわかる。 マティス的な絵において…

EO

新宿シネマ・カリテでイエジー・スコリモフスキ「EO イーオー」(2022年)を観る。 人間ではなくてロバであり、牛ではなく馬でもなくロバであり、野犬でも狐でも鳥でもなく、蜘蛛でもなく蛙でもなく、ロバである。 あの寂しそうな、つぶらな瞳で、無抵抗を象徴…

E O

ceroの新譜「E O」を聴く。前作にあった、異なるリズムの重なり合い、バンドの音同士がぶつかり合うかのようなダイナミックな要素は後退した感がある。演奏が全体的に、少しだけ後ろへ下がって、くぐもったような混然としたバックトラック全体として、時折差…

うたのげんざいち

スペースシャワーTVで放送された中村佳穂のBunkamuraオーチャードホールのライブ「うたのげんざいち NIA・near Special」を観た。予想をこえてすごかった。このバンド編成と、アンサンブルと、アレンジとが、上手くいっているのかどうか、正直自分にはよくわ…

さらっと

十四代とか、飛露喜とか、ああいう有名で高価で人気の高い吟醸の酒を、自分はどうしても美味しいと思えない。 まあ、あの爽やか感と旨味の重なり合った、絶妙な感じが、わからないとまでは言わないけど、しかしいくらなんでもあれらの酒は、甘すぎやしないか…

レッド・ツェッペリン

なぜか再びレッド・ツェッペリンを繰り返し聴く時期が、我が身におとずれたようなのだが、とはいえ自分のレッド・ツェッペリン嗜好は、ある傾向の曲だけに偏っていて、レッド・ツェッペリンの全てを愛好してるわけでは決してない。 いや、それは傾向とさえ呼…

革命前夜

昔の録画よりベルナルド・ベルトルッチ「革命前夜」(1964年)を観る。ヌーベルヴァーグの推進力を借りて、飛んでみたのか。それはヌーベルヴァーグっぽさを利用してという意味ではなく、ヌーベルヴァーグというものを、自らの武器として、一番しっくりくる方…

恵比寿にて、季節外れで種類少な目な、茸のソテーを中心としたコースを。茸の形状の違い、大きさの違い、色の違い、味わいと歯ごたえの違い。まるで臓モツのような、海藻のような、樹木の一部のような、しかしそのどれでもなく、香りの主張が強くて、ワイン…

宴会

木場に集合し、友人らに付き合って、久々の乾杯して、クリスチャン・ディオール展を観て、新富町で夜の会食して、二次会まで行って、夜遅くに帰宅した。こうしてひたすら食べて飲んで無駄話するのも、じつに久しぶり。そして振り返ってみても、手足の力が抜…

週末予定

週末に予定があるのは、本来の時間をうしなった気がしてなんとなく落ち着かない。本来の時間といっても、つまりただぼんやりと途方に暮れてるような時間のことなので、そんな時間など無い方がむしろ良いと感じる人もいるだろうけど、しかしあの前後の境界も…

週末の予約を入れていたレストランから連絡がきて、シェフが発熱したので予約をキャンセルとさせてほしいとのこと。 会社にも発熱者が出てるし、疫病の行方はまだ予断を許さぬ感じか。正直あまり気乗りのしない会合のための店を、ふたたび探しはじめる。 毎…

美味しくない

三浦哲哉「L.Aフードダイアリー」では、著者がL.Aの食文化を体験し考察するにあたって、料理評論家ジョナサン・ゴールドの著作とレビューを、導きの糸というか重要な進む先の杖として見出すのだけれども、その料理評論家について、最後の方で紹介される以下…

安心

自分の年齢を逆算して、考えるべきことと、もう考えなくてもいいこととをふるい分ける。そんなふるい分けが出来るなんて、なぜそう思えるのかわからないけど、勝手にそう思い込んで、線引きしてしまう。そしてもう考えなくてもいいことについては、考えたり…

後ろ姿

公園を散歩中、妻が写真を撮る。その写真には、妻の見た景色と、妻の前を歩く僕の後ろ姿が写っている。僕はその写真を見てまず真っ先に、それが妻の見た景色だと感じる。なぜならそこには、僕自身の後ろ姿があるからだ。 自分自身の後ろ姿は、当然ながら自分…

TAR

MOVIX亀有でトッド・フィールド「TAR」(2022年)を観る。面白かった。以下ネタバレあり。 冒頭、ジュリアード音楽院での講義風景。アフリカ系の男子学生による「自分はマイノリティで、生涯に数十人もの子供をもうけたバッハを好きではない」との言葉に対して…

大砂塵

DVDでニコラス・レイ「大砂塵」(1954年)を観る。観た者をどこか唖然とさせるような妙な人物設定と配置、そして謎の勢いというか強迫性というか、とにかくこの事態を終結まで持っていくために全力で突っ走らなければいけないという、固い意志めいたものも感じ…

鰯雲

ずいぶん前に日本映画専門チャンネルで録画したのを見つけて、成瀬巳喜男「鰯雲」(1958年)を観る。今更ながら、1950年代の日本の農村。昔って、こうだったのか…という驚き。もちろん、想像を越えたまったく知らなかった景色というわけではなくて、むしろどこ…

木の下で

大学生だったのは、三十年も前のことなのだ。三十年前って、半端じゃない。今と三十年前では、景色がまるで違うだろう。記憶にある景色の、実際はほぼ失われているはずなのに、今でもまだ当時のイメージを思い出すことができることは、嬉しいようでもあり、…

青梅沿線

連休中、青梅線に乗ったとき、沿線の羽村駅とか河辺駅とか、もう十五年以上前によく仕事で言ったなあ…と思い出した。わりと製造業系企業の工場が多い土地柄で、担当営業と一緒に何社かの顧客先へ訪問する機会がたまにあった。 あの頃は実にのんびりしたもの…

たすけておくれ

病気療養や手術について書かれた文章が苦手で、それを読んで想像される痛苦が耐え難くて、読むのをつい避けてしまう。最近だと山下澄人とか、坂本龍一とか、他にもあったかもしれないが、いずれも妻が読んで教えてくれるので、それで僕は、それらを読まない…

蕎麦屋

福田和也の新刊を読んで、しかしこれは、ほんとうにあの書き手の文章だろうか…と。書き手を書き手たらしめる役割を、もはや文章が果たしてない感じがすると思った。なかなかしんどいというか、いたましいというか、他人事ではなく、これからの時間のその先と…

死生観

大江健三郎が2010年頃のインタビューで、自身の「死生観」について以下のように語っていた。武満徹とか、安部公房とか、自分に近しい人々が亡くなっていくことで、自分自身の世界のところどころに、穴が空いたような感じがする。それはつまり、自分自身とし…

スタンディング撤退

六本木ヒルズアリーナのフリーライブイベントTOKYO M.A.P.Sを目指して出掛けた。13:30からのBialystocksは観た。が、その30分を立っていただけで思いのほか疲れてしまって、ほんとうは17:00からの君島大空、さらに19:00からのcorneliusも観戦するつもりだっ…

マティス展

東京都美術館でマティス展を観る。二部屋目の展示室に集められた1910年代の諸作品(コリウールのフランス窓、窓辺のヴァイオリン奏者、金魚鉢のある室内、オーギュスト・ペルラン…など)が、とりわけ素晴らしく感じられる。この時代にだけ特有な、研ぎ澄まされ…

書く営み

NHKが再放送した「NHKスペシャル 響きあう父と子・大江健三郎と息子 光の30年」を見ていて、三十年前にも思ったことだけど、大江健三郎って、ほんとうにあの広いリビングのソファーで、ずっと仕事するのだろうか。ソファーに腰かけて、膝の上に画板みたいな…

電車の中はひどい混雑だった。連休が混雑を生み出す。もちろん我々もその一要素である。 駅を降りてしばらく歩くと、水の流れる音が次第に大きくなってくる。やがて見下ろした先に川があらわれた。豊かな水量が勢いのままに、光の青い反射を撒き散らせて、時…

ニックス・ムービー/水上の稲妻

ザ・シネマメンバースで、ヴィム・ヴェンダース「ニックス・ムービー/水上の稲妻」(1980年)を観る。冒頭、ヴェンダース本人がニューヨークのある部屋を訪れると、世話役らしき若い男がヴェンダースを迎える。部屋の奥では病床のニコラス・レイが眠っている。…