2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

宇能鴻一郎「姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集」より<鯨神>を読んだ。一九六一年発表の芥川賞受賞作。鯨と人間との闘い。「生きるとは死ぬことと見つけたり」を、地で行く感じの主人公を中心に、方言と直進的語りで始めから終わりまでぐいぐい盛り立ててい…

西新井駅は現在駅舎を改築中らしく、鉄骨と覆いの隙間から見える旧駅舎は、半壊状態な体で無残な姿をさらしていた。自分はもともと西新井という場所には縁がなく、足立区に二十年以上暮らしているのに、西新井を訪れる機会といえば駅から徒歩数分のショッピ…

宇能鴻一郎「姫君を喰う話 宇能鴻一郎傑作短編集」より<姫君を喰う話>を読んだ。一九七〇年発表の短編作品。新鮮で美味しい牛モツ肉に関する話と、延々と続く女性との接吻から局部への愛撫に関しての話と、千年以上も前、伊勢神宮に祀られた女性(斎宮)と駆け…

先日、我孫子の古本屋で買った宇能鴻一郎「味な旅 舌の旅」を読んだ。<官能小説家>宇能鴻一郎の名は知っていたが作品ははじめて読んだ。本書は官能小説ではなくて、タイトルの通り飲食を主に全国の各地を巡るエッセー。 宇能鴻一郎は一九三四年生まれ。本書…

小林信彦「小説世界のロビンソン」第三十二章『「瘋癲老人日記」の面白さ』。一九六二年、谷崎潤一郎七十五歳のときに発表されたそれを小林自身読んだときの衝撃が、たった今体験した出来事のように書かれている。それと同時に当時の文芸誌の創作合評におけ…

薄切りにした玉葱約一個分を真っ白に敷き詰めた上に、切り身の鰹を並べて生姜を添える。たまり醤油をかけると、白い玉葱が一挙に醤油の色に染まる。この濃い色が、鰹から溢れた大量の血液を思い出させて、味わいのインパクトを予感させる。辛みをともなった…

Ned Doheny「Hard Candy」(1976)、あるいはSteely Dan「Gaucho」(1980)、あるいはDonald Fagen「The Nightfly」(1982)など、超定番ながら秋という季節に安定して響く音楽を選ぶとすればこれらか。 いや、こちらが選ぶのではなくて、ある時期ふいにそれらの楽…

小林信彦「小説世界のロビンソン」における「物語」についての自解釈(拡大/誤解釈を含む可能性あり)。 読者を小説へ引き入れる力は物語に拠っている。物語とは、あらすじではない。また形式でもない。物語とはいわば小説的言語の効果であり、それはこれと名…

バーで酒を飲むたびに毎回楽しいわけではないし、楽しさを求めてバーに行くわけではない。目的はただ酒を一、二杯飲むためだが、バーに通ってると、ときには楽しい時間に遭遇することもある。それはたまたま同席した客たちとの会話や雰囲気がやけに楽しかっ…

我孫子には杉村楚人冠記念館というのがあって、明治から昭和にかけてのジャーナリスト杉村楚人冠(1872年~1945年)の旧居跡を見物することができる。斜面のような敷地内に母屋、茶室、澤の家(別宅)が点在していて、我々は散歩の途中で立ち寄っただけで母屋(有…

ギンナンとキンモクセイとときおりカツラの甘い匂いが漂う小道を歩いている。空気は冷えているが日差しは強く背中には熱を感じている。身体の表面が発汗するかしないかの瀬戸際の状態に留まっている。 肌に触れる体感温度の細かい変化、土や木々の生の促進と…

NetFlixで深作欣二「仁義なき戦い」(1973年)を観る。はじめて観たのだけど、さすがに「痛そうな場面」は、だいたい知ってた…。あれよあれよという間に人が入れ替わり、暗殺され、また別の者が台頭して、その展開がめまぐるくて、バタバタと大慌てであっとい…

ビタミンだのクエン酸だのを含む、パッケージに大きく疲労感軽減と書かれた炭酸飲料を、最近は一日に一度、飲むようになった。午後から夕方にかけて、終業までもうひとがんばりといった時間の前に、少し離席して、コンビニでその小さな瓶を買い求めて、休憩…

「小説世界のロビンソン」に言及されていたが、小林信彦は若い頃の一時期、太宰治に傾倒したらしい。作品としては中期から後期(戦中まで)にかけての時代のものを好んだようだが、しかし小林信彦の自伝的要素が強い小説群を読むと、太宰との共通点が多いとい…

図書館で借りた小林信彦の小説『家の旗』より「決壊」を読む。主人公は例によってやたらとペシミスティックで、疑心暗鬼で、誰もを容易には信用しない、ものごとを悲観的にしか見ない。他の登場人物にも信頼できる人物はいない。妻をのぞいては。 主人公にと…

泳いだ。約一年ぶり。これだけ間が空くと、おそらく泳ぎ始めてすぐ全身が重しを乗せたようになって、心臓が膨らみ、息があがり、たちまち這う這うの体となって、プールから上がるのにも難儀するくらいキツイのではないかと予想していたのだが、意外にもこれ…

小林信彦の小説を読んでいて一貫して感じさせられるのは、世間や他人に対する強い猜疑心というか、他人を容易には信じない心持ちのようなもので、これは所謂「業界系」の小説においても、自分のルーツを探る小説においても同じで、とにかく作者とおぼしき主…

図書館で借りた小林信彦の小説『家の旗』より「兩國橋」を読む。以下の文章…。東京人の、これほどまでに選民的な言葉を聞いたことがない。 電車で二時間を要するのみの八日市場へ行くのをためらうのは、浩一のなかの血のせいである。 彼は西へ向かうのは、ど…

VHS録画より神代辰巳「赫い髪の女」(1979年)を観る。いつものことながら、神代作品の登場人物たちが挿す傘の役立たずなこと。。あれはいったい、何のために傘を挿しているのか、雨を除けるためではなく、いま自分らが、ここをふらついてますよというのを、遠…

図書館で借りた小林信彦「小説世界のロビンソン」を読み始めたら、思った以上に面白い。第三章から七章までは夏目漱石の「猫」について、「猫」にみられる落語からの影響をメインにして書かれている。それ自体はどこかで聞いたことのある話ではあるけど、こ…

書き続けていれば、いつかは膨大な量になる、それは薄々わかってはいた。ならばあらかじめカテゴリーやジャンルに分けて、後から確認・参照しやすいように設計しておくべきではないかと、考えなかったわけでもないのだが、結局は検索窓がひとつあるだけ、そ…

図鑑「危険生物」は、人間にとって危険な要素があるなら何でも掲載する方針のようで、後ろの方のページに貝の牡蠣まで載っているのには、おいおいと突っ込みたくなった。ときには食中毒をもたらすからだろうけど、サメの危険さと牡蠣の危険さはまるで違う、…

先日「危険生物」がテーマの子供向けの図鑑を本屋で立ち読みしていたのだが、そのカラフルな表紙を飾っているさまざまな動物写真のなかでも、やはりというか予想通り中心でひときわ大きくクローズアップされてるのはサメなのだった。 おそらく「危険生物」の…

DVDでイングマール・ベルイマン「叫びとささやき」(1973年)を観る。赤という色が映画に映るとき、それは映画によってさまざまな効果をもたらすだろうけど、本作の赤は、ほとんど色としてではなく、任意の無色というか非色を、赤に代替しているかのような印象…

東京都現代美術館で「デイヴィッド・ホックニー展」を観る。思ったよりも昔の作品が多くて良かった。とくにダブル・ポートレートやその時代の素描・リトグラフが、モチーフとしては人物で、しかもおそらくは作家の知人とか近しい人とか関係者を対象にしてい…

テレビドラマ「華やかな誤算」(1985年)を見たのは中学一年か二年のときで、このドラマで古尾谷雅人と杉浦直樹をはじめて知った。 いや、その言い方は正確ではない。役者を知るなどという概念自体が、当時の自分にはない。あえて言えば、夜の十時頃から放送さ…

Amazon Primeで曽根中生「唐獅子株式会社」(1983年)を観た理由は、横山やすしっていったいどんな人だったっけ、それをふと思い、みてみたくなったから。 カースタントからはじまって、ヤクザ事務所、フランス料理、遊園地、ロックコンサート、歌手養成練習、…

テレビをつけたらnew jeansのビデオがいくつか放送されていて、今更ながら自分も、これではじめてnew jeansを聴いた。まず"Attention"が、掛け値なしに素晴らしいと思った。これはたしかに、あまりにもよく出来ていて、どこも悪いところのない、自らとの距離…

小林信彦の連作短編小説「袋小路の休日」より「路面電車」を読む。 ここで描写される景色は、すべて七〇年代のものだ。池袋の高層ビルを見る場面があるので、七〇年代後半かあるいはもう八〇年に差し掛かっているのかもしれない。この時点ですでに主人公は目…

小林信彦の連作短編小説「袋小路の休日」より「北の青年」を読む。 北京で生まれ、毛主席語録を読んで育ち、当初は京劇の役者を目指していて、文化大革命の時代に親族のつてで香港へ退避し、英語や日本語を学び、髪型をマッシュルームカットに決めた青年。雑…