Twitter

ところでTwitterは、あれの読み方は、下から上へでいいのだろうか。それとも逆か、みんな、どっちから読んでいるのか。やはり時系列順に、僕はなるべく下から上へ読みたいのだが、まとまったツイートが非表示になったのを表示すると、それは下から上へ展開せず、上から下へ展開してしまうので、あ、これってやっぱり、上から下へ読めということなのかな?とか、いまだに疑問に思う。そもそも僕はタイムラインというものの「良さ」も、きちんと理解してないと思う。あの流れで見過ごしてしまうもののことが異様に気になる。たぶん、自らサーチしてるのに取得しきれずに捨ててるというところが、気持ち悪いのだと思う。条件与えてるなら、全部読み込みたいと思ってしまう。読みたくないものが混ざるなら、条件が間違っているので、それを改良したいと思ってしまう。そういう、たぶん古い発想から、逃れられない。適当に流れていくものをざっくりした雰囲気で捉えることができない。だからと言って、フォロワーごとに全部、律儀に個別で下から順々に読むなんてこともしない。要するに、未だに扱いを、よくわかってないし、こう言っては身も蓋も無いが、そもそもなぜ皆があれにひたすらポストするのか、どんなモチベーションなのかも、いまだによく理解できてない。

素質

想像とか、妄想とか、空想するとか、というのは、じつはそれなりに図々しい性格じゃないと出来ないことだ。「自分勝手で、自分に都合の良い、甘い考え」をもつこともそうだ。さすがにそんな上手い話はないでしょと、冷静になってから自分で自分に突っ込みたくなるような考えだったとしても、しかし人は意外に、ふと気を許した隙に、そんな考えに囚われたりすることもある。もちろんそれは自身の内面だけにこっそりと広がったイメージに過ぎないことがほとんどだろうが。なにしろ、そういう自分勝手さ、いい加減さ、お調子の良さ、図々しさ、言い方を変えれば、楽天性、呑気、鷹揚、無計画、性善説…といった「ゆるさ」というか「あそび」の部分が、多い人と少ない人がいて、とくにそれが多い人は、世間では「ちょっと困った人」にとらえられがちなところもあるが、そういう人じゃないと「作品」はつくれない。「作品」なんかつくれなくても良いのかもしれないが、自分の内側に、自らを幸福にしてあげられる装置をもつことが「作品」をつくるということだとしたら、やはり誰もが「作品」はつくれた方が良い。

一滴

一昨日のことだが、ものすごく久しぶりに自室でアンドリュー・ウェザオールのThe Sabres of ParadiseのCDを引っ張り出して聴いていた。いや、自分の意志で引っ張り出したわけではなくて、ふだん目につかない棚の奥のCDを聴くために、奥と手前それぞれのCD群を二段分くらいごっそり総入れ替えするということをして、大昔の遺物みたいなCDがそっくり手前に並んだ、その中にセイバーズの「Haunted Dancehall」を見かけたので、なんとなく気が向いてそれを再生したのだった。聴いたのはじつに25年ぶりということになる。なつかしいと言うよりも、おそろしいと言いたい話である。しかしなぜ今それを聴く?理由は不明、たまたまそれを、手に取ったから、としか言いようがない。

そのアンドリュー・ウェザオールが、今日亡くなったというニュースを知った。こういった偶然は、たまにあるけど、きっと現在では未だ解明されてない、見えない力の伝達というのがあるのかもしれないと思った。ちなみに断っておくが僕はアンドリュー・ウェザオールの音楽にも人にも、ほぼ思い入れもなく関心も高くはない。そういう人間的な感情の濃度とはまた別の、物理学的というか自然学的な話として、生体がいよいよ死を迎えるにあたって、その直前に、かすかな電気的なパケットを、あたえられた空間に対して、無作為に放電するみたいなことがあったとして、それをたまたま、僕が受信したみたいな…。

そういえば!思い出した。父親が死んだあと、父の友人が言ってたのだ。あなたのお父さんの命日になる日の前夜に、私なぜか、あなたのお父さんの夢を見たのよ。もう何年も会ってないし、最後にいつ話したかも忘れちゃったくらいなのに、すごく不思議だと思わない?なんでその日に限って、彼の夢見るのかしら?って、そのとき不思議に思ったのよ、そのあと何日かして訃報の葉書もらって、私ほんとうにびっくりしたのよ。

自分が死ぬ前から世界は存在するし、自分が死んだ後も世界は存在する。そもそも自分が生きている状態を、ことさら貴重に思わなくてもいいじゃないか、生なんて、そんな大したことじゃないよ。生まれて死ぬ、それを大らかに肯定すれば良いだけじゃないか、死をことさら恐れるなんて意味なくない?それって誇大な幻想におびえているようなものじゃないか?

などと言う言葉に、その不思議な通信授受は、どんな意味を与えるのか。いや、別に与えないのか。ただ死ぬだけ。しかしなぜか、任意の誰かに、それが届くこともある。それは、メッセージではない。単に空から降ってきた雨の一滴が、頬にあたったのと変わらない。しかし頬に雨があたったこと自体は事実だ。

バンド・ワゴン

Prime Videoでヴィンセント・ミネリ「バンド・ワゴン」を観る。1953年、当時フレッド・アステア54歳である。この時点でのフレッド・アステア自身の思いが多分に反映されているのかどうなのか…冒頭から異様にペシミスティックな雰囲気で、すでに人気のピークを過ぎたとされるベテラン俳優の主人公が自虐気味に登場。やがて最初のミュージカルシーンが始まるけど、ああやはり踊りの傾向というかやり方が、戦前とは違うな…という感じはする。わりと植木等の姿がちらつくときもある。映画自体はアイデアがてんこ盛りで、マイケル・ジャクソン"Smooth Criminal"の元ネタになったシーンも含めて、観客を楽しませるためなら何でもするという気概に満ちていて、これなら、誰もが納得するだろうなとは思う。

が、個人的には、50年代のスーツに独特な、身体に対してやや大きめなジャケット、タックの入った太目のスラックスが、どうもアステアのうつくしい細見の身体のラインを覆い隠してしまっているかのようで、観ている側としてはそこが惜しいと感じてしまう。往年の時代はタキシードにしてもセーラー服にしても、アステア自身の身体にぴたりと貼りついたかのような細さで、じつに素敵だったのだけどなあと。もっとも昔と同じ服を着たとしても、昔を同じように見えるわけでは、ないのかもしれないが…。

女性のコスチュームもそうで、戦前の作品だと貴族とかお姫様みたいに如何にもな豪華ドレスで、またそれを着こなす若い頃のジンジャー・ロジャースの病的なまでの身体の細さも相まって、くるくるとコマのように回りながら踊る様子の儚さと優雅さと豪華絢爛さにうっとりさせられるのだが、本作ヒロイン(シド・チャリシー)とアステアが二人で踊るシーン、シド・チャリシーの50年代風開襟ブラウスにふわっと広がるスカートもいいのだけど、やはり豪華ドレスのひらひら衣装の長い裾が相手の男性の身体に巻き付いてふたたびほどけて…みたいなあの動きの優雅さに較べると、やや物足りなさは感じてしまう。(ジンジャー・ロジャースと較べるとシド・チャリシーの身体はけっこうガッシリしているので、そこもまた…。)

コンチネンタル

Prime Videoでマーク・サンドリッチ「コンチネンタル」を観る。制作年は1934年、当時フレッド・アステア35歳、ジンジャー・ロジャース23歳である。驚いたことにアステアとロジャースが二人で踊るシーンは中盤以降まであらわれず、役柄としての二人の誤解がじょじょに氷解し始めてようやく…という展開である。お話自体は、昔っぽくて他愛もないコメディなので、物語の間延び感は観ていて正直かったるいのだけど、それでも二人のダンスがはじまると、その驚愕すべき身体運動への驚きと、男女の心が少しずつ変容し寄り合っていくという意味作用とが混ざり合って、一応でもこうして「物語」として観るのは、単体で取り出したダンスシーンだけをまとめて観るのとはやはり違った面白さというか味わいがある。

そもそも冒頭からアステアは無銭飲食を訴えられそうになり仕方なくレストランで踊りを披露するのだが、その態度がじつに勿体ぶってるというか、ほんのちょっとだけステップして、はい以上ですが何か?みたいな、いやいや…せっかくだからもっとやれよやれよと言われて、じゃあしょうがないなあ…もう少しだけね…という感じで、映画内の人物たちも実際の観客も一緒くたにされて、じつに心憎い焦らせ方と引っ張り方で、まさに踊るスーパースターの面目躍如という感じだ。前半までアステア本人のダンスの出番はそんな風に小出しにされたソロ・ダンスばかりだが、しかし信じがたく細身で手足の長い身体と、動作一つのキレの鋭さ、すべてが奇跡の偶然であるかのような驚きに呆然とするばかり。当時の映画館に詰め掛けてスクリーンを見つめて目をうるませていたファンの状態と何ら変わらなくなってしまう。後半から終盤にかけてはほとんど集団舞踏が大爆発というか祭祀的な祝典みたいになって、いくらなんでもものには限度があるでしょ、もはやリーフェンシュタールかよ…と云いたくなるほどだが(というか「意志の勝利」制作と同年か…)、その中心で踊る二人の可憐さには、ほとんど言葉をなくす。

観終わったあとYoutubeで、ひたすらアステアのダンスシーンを検索しては視聴をくりかえした。夫婦そろって、何時間ぶっ続けで観ていたのか、はっとして気付いたらすでに窓の外が真っ暗になっていた。しかし本作クライマックスの二人のダンスは、残された様々な映像でこの日に観ることができたなかでも傑出した部類の一つに思われる。最後二人が全力疾走で階段を駆け上り回転ドアの向こうに消えていくあの一瞬、あの躍動そのものの後ろ姿は、何度見てもほとんど感極まりそうになる。

和辻哲郎と風呂

先日、三宅さんの日記を読んでいて不意打ちのように気付かされたこと。それは名古屋・京都間が、電車で一時間も掛からないということだった。当たり前ではないかと言われそうだが、じつは僕に今までその発想はなかった。名古屋ならここ数年で何度となく行ったのに、一度として帰りに京都へ寄り道しようとは思わなかったし、それが容易く可能だとも思い浮かばなかったのだ。なんとなく凄く勿体ないことをしたような気が今更してきた。

それとは関係ないけど最近はなぜか、和辻哲郎の「古寺巡礼」をたまに読んでいる。きっちり精読ではないにせよ、気が向いたときに適当にパラパラと読んでいるのがちょっと楽しい。大正時代に古都を巡った筆者の、仏像を対象とした芸術論でもあり、作品論でもあり、民族・文化・宗教のルーツに遡行する思考の書でもあり、それだけでなく友人同士がかたちづくる若者に特有の濃密な時間が刻まれた魅力的な旅行記でもある。

で文中、風呂に関する考察が二回出てきて印象的だったのだが、最初の項(岩波文庫32頁~)では、西洋と日本の風呂に対する感覚の違いの不思議、実用本位である西洋に対して、まず湯浴みを享楽する日本という感覚的違いが比較される。まるで「陰影礼賛」において、西洋のトイレと日本の厠を比較した谷崎のようにだ。「古寺巡礼」上梓は1919年(大正8)で、今からほぼ百年前。「陰影礼賛」は1933年で「古寺巡礼」よりもかなり後になってからではあるが。

 西洋の風呂は事務的で、日本の風呂は享楽的だ。西洋風呂はただ体のあかを洗い落とす設備に過ぎないので、言わば便所と同様の意味のものであるが、日本の風呂は湯の肌ざわりや熱さの具合や湯のあとのさわやかな心持ちや、あるいは陶然とした気分などを味わう場所である。だから西洋の風呂場と便所とはいっしょであるが、日本人はそれがどんなに清潔にしてあっても、やはり清潔だけではおさまらない美感の要求から、それを妥当と感じない。

和辻哲郎はきっと風呂が大好きなのだろう。

日本人は風呂で用事をたすのではない、楽しむのである。それもあくどいデカダン趣味としてではなく、日常必須の、米の飯と同じ意味の、天真な享楽としてである。
 温泉の滑らかな湯に肌をひたしている女の美しさなどは、日本人でなければ好くわからないかも知れない。湯のしみ込んだ檜の肌の美しさなどもそうであろう。
 西洋の風呂は、流し場を造って、あの湯槽に湯が一杯張れるようになおしさえすればいいのである。この改良にはさほどの手間はかからない。それをやらないのだから西洋人は湯の趣味を持たないとしか思えない。

このあと、光明皇后の伝説とされる(カラ風呂)の話が出てくる(岩波文庫105頁~)。以下は風呂と言っても今でいうサウナ風呂のようだが。

元亨釈書』などの伝える所によると、――東大寺が完成してようやく慢心の生じかけていた光明后は、ある夜閤裏空中に「施浴」をすすむる声を聞いて、恠喜して温室を建てられた。しかしそればかりでなく同時に「我親ら千人の垢を去らん」という誓いを立てられた。もちろん周囲からはそれを諫止したが、后の志をはばむことはできなかった。かくて九百九十九人の垢を流して、ついに最後の一人となった。それが体のくずれかかった疥癩で、臭気充レ室というありさまであった。さすがの后も躊躇せられたが、千人目ということにひかされてついに辛抱して玉手をのべて背をこすりにかかられた。すると病人が言うに、わたくしは悪病を患って永い間この瘡に苦しんでおります。ある良い医者の話では、誰か人に膿を吸わせさえすればきっと癒るのだそうでございます。が、世間にはそんな慈悲深い人もございませんので、だんだんひどくなってこのようになりました。お后様は慈悲の心で人間を平等にお救いなされます。このわたくしもお救い下されませぬか。――后は天平の美的精神を代表する。その官能は馥郁たる熱国の香料と滑らかな玉の肌ざわりと釣り合いよき物の形とに慣れている。いかに慈悲のためとはいっても癩病人の肌に唇をつけることは堪えられない。しかしそれができなければ、今までの行はごまかしに過ぎなくなる。きたないから救ってやれないというほどなら、最初からこんな企てはしないがいい。信仰を捨てるか、美的趣味をふみにじるか。この二者択一に押しつけられた后は、不レ得レ已、癩病の体の頂きの瘡に、天平随一の朱唇を押しつけた。そうして膿を吸って、それを美しい歯の間から吐き出した。かくて瘡のあるところは、肩から胸、胸から腰、ついに踵にまでも及んだ。偏体の賤人の土足が女のなかの女である人の唇をうけた。さあ、これでみな吸ってあげた。このことは誰にもおいいでないよ。――病人の体は、突然、端厳な形に変わって、明るく輝き出した。あなたは阿(しゅく)仏の垢を流してくれたのだ。誰にもいわないでおいでなさい。

この個所を読んで驚いた。あまりにもなつかしかったからだ。僕は小学校三年か四年のときに、この光明皇后のエピソードを学校の図書室にあった「偉い人の伝記」マンガで読んだことがあったのだ。マンガで描かれた、らい病患者のグロテスクさに身が縮みあがる思いをさせられたし、その患者の身体に直接触れ、挙句は口で膿を吸い出す仕草(影絵のように表現されていた)まで読んだときには、あまりの衝撃でしばらくの間何も手につかなくなってしまったほどだった。もちろんハンセン病についての知識も持ってない子供時代である。いやそれを差し置いてもこの伝説には醜悪をもてあそぼうとする暗い歓びがひそんでいるだろう。今ならさしずめ、タランティーノの映画「プラネット・テラー in グラインドハウス」に出てくるゾンビの表現の醜悪さを思い浮かべたくはなる。全身を醜く覆う無数の巨大な吹き出物の一つを指でつまむと、ぶちゅっとつぶれて中から腐敗した膿がほとばしって向かいの相手の顔を汚すみたいな、そういう考えうるかぎりもっとも品性を欠く幼稚な悪意と悪ふざけで図に乗った表現が、この歴史に残る伝説にも物語のディテールとしてしっかり内包されていると思うし、ましてや決意をかためた皇后は、それを直接、口で受けるわけだ。

 しかし重大なのはこの時の浴者の心持ちである。自ら蒸気浴を試みてみたら、その見当がつくかも知れないが、もしそこに奇妙な陶酔が含まれているとすると、事情ははなはだ複雑になる。人の話によると、現在大阪に残っている蒸し風呂はアヘン吸入と同じような官能的享楽を与えるもので、その常用者はそれを欠くことができなくなるそうである。もし蒸気浴がこのような生理的現象を造り出すならば、浴槽から出たときの浴者は、特別の感覚的状態に陥っているといわなくてはならない。ちょうどそこへ慈悲の行に熱心な皇后が女官たちをつれて入場し、浴者たちを型通りに処置されたとすると、そこに蒸気浴から来る一種の陶酔と慈悲の行が与える喜びとの結合、従って宗教的な法悦と官能的な陶酔との融合が成り立つということも、きわめてありそうなことである。天平時代はこの種の現象と親しみの多い時代であるから、必ずしもこれは荒唐な想像ではない。こういう想像を許せば「施浴」の伝説は民衆の側からも起こり得たことになるであろう。

和辻哲郎も語る通り、この伝説の中には、明確に官能性へのまなざしがある、端的に言ってエロを享楽しようとする意志があると言えるだろう。さすがに強烈過ぎて僕はちょっとダメだが…。

循環

午後八時過ぎ、夜道を歩いていると、ふわっと湿気を伴った空気が生暖かくて、二月のこの時期の外気が暖かいはずがないのだが、昨日までの肌を刺すような厳しい冷気とはまるで質の異なる空気で、寒くないのは助かるけど、これはこれで、やがてまた今とは異なる別の季節が来るということだなと思う。夏の日々を過ごしていると、半年後には冷気で身体が芯から凍るような日々を送ることになるのが信じられないし、冬の只中にいると、やがて桜が咲いて散って、じょじょに気温が上がり太陽が電熱器のように照り始めてほんの少し動いただけで衣類の内側に汗が滲むような毎日が来るのだということが信じられない。それを言ったら、一年後にはまた今と同じような冬の只中にいるはずだが、それも本来おどろくべきことだ。今年も来年も再来年もくりかえすだなんて、いったい何がそうさせるのか、くりかえしているということ自体が、人の手には負えない巨大な不気味さのように感じられることがある。

沈丁花は今年も少しずつ花弁がふくらみはじめて、冬に漂う馥郁としたこの香り、ああこの季節ですねえ…という感じ。しばし立ち止まりて深呼吸し肺腑に冷たい空気を取り入れる。