テレビを適当に替えてたら、98年ごろのフィッシュマンズが出ていて、それをぼんやりと見ていた。以下の番組でスタジオライブをやっていて、ああー時代だなあ…と思った。

https://www.spaceshowertv.com/sp/program/special/encorehour_fishmans202103.html

演奏以外の、メンバー三人のトークの感じが、今ではちょっと考えられないくらい、みんな態度悪くて、ほとんど愛想無し、やる気なし、あさってのほうを向いて、唯一ドラムの茂木氏だけが場の潤滑油で、しかしトークの時間中、みんなほぼタバコを喫ってぼーっとして、一言二言何かいうだけみたいな感じ。でも、たしかに昔はこうで、これが当たり前だったのだ。それこそたぶん、かつての僕だって、他人に対して、だいたいこういう感じの態度だったような気がするのだ。

もはや、なんか昔すぎるというか、これって現代から見た明治時代とか大正時代に近いくらいの距離感ではないかとさえ思った。あんな狭い場所でうつろな目で煙草の煙にまみれて、狭い酒場とかにいて、今となってはこれって、どこか外国の映像じゃないのかと思うくらいの…。

大正百一〇年

「白樺たちの大正」を読んでいて、大正時代って、なんだったんだろう…と複雑な思いになる。学生および文学に身をやつした同人たちの白樺派周辺がかたちづくる状況があって、かつ同時代、米価格高騰に暴動を起こす農民がおり、日比谷公園周辺に群衆となって集い阿鼻叫喚、暴動寸前の集会や会合や暴動の沸騰する状況があって、政権批判、言論の自由行使と警察・行政からの告発、発売禁止恫喝のはざまで生き延びるために必死の組織変成をなす新聞社や血気盛んな在野の出版業界があって、かつ革命前後のきわめて不安定なロシアはブラゴヴェシチェンスクにて諜報活動しつつあいまいな方針しかもたぬ軍部および国家の先行きに根本的不安をおぼえずにはおれない帝国陸軍少佐がいて、それらのおりなす交響楽のような合奏が、その時その場の重層的ゆたかさとなって、読む者に迫ってくる。「行政」や「軍」は目的をとらえきれずあいまいに彷徨い、「市民」はそのような条件下に規定されたうえで、自らの身体をもって画面にちらばる絵具のように世相を「表現」する。この上位・下位構造の重奏形式、歴史の描き方の定番的な作法の、読み手にとっては保証された面白さというのがある。その保証枠によって、面白いとも言えるし、こんなものだろうとも思うのだが、過去をモチーフにした書物のよいところは、おそろしく大量の人名と書物名が結果的にメモに残ることで、書き留めたこれらの人名が載る書物のすべてをただちに購入するわけではないにせよ、過去には未だこれほどまでに未知の領域が潜んでいるのかという驚きとともに、それらはしばらく保存されることになる。それにしても大正時代が今のご時世と、じつによく似ているように思えてならない。大正百一〇年にあたる今の世の中が、このあときれいにこの後の昭和をなぞって行かないように祈るばかりだ。

オフライン

 ネットワークにつながないWindowsなら、何年経とうが何も変わらず、電源を入れれば当たり前のように動く。まるで家電のようだ。アナログの音と映像を取り込めるようにしてあるので、もう十年以上使っている。古いパソコンの中を探っていると、ふだんは思い出さない過去の些事が、いきなり具体的にぼろぼろとこぼれだすかのようだ。とはいえたかが十年前とも思う。もし二十年前のパソコンのディスク内を、今確認出来たらどうだろうか。いや、たしかにデータはパソコンが代替わりするごとに移行しているので、二十年前のデータもまだあるけど、そうではなくて当時の状態として見てみたらどうかということ。Windows98とか2000の時代か。その時代の雑多なCD-ROMなど、まだ部屋のどこかにあるのだけど、これらを動作させてみたいという、ただそれだけのために当時のOSが動く昔のPCを中古屋かヤフオクあたりで買おうかと思うことがある。とにかくネットに接続さえしなければ、それらの機器はどんなに古くても、現在以上には古くならない(機械的に故障しないかぎり)。

白樺

関川夏生「白樺たちの大正」を読んでいるのだが、本書によれば明治15年以前の生まれと以降の生まれでは、明治時代のいわゆる「明治の精神」に対する感覚が、大きく違うのだと。すなわちそれは漱石「こころ」で「明治の精神」によって自殺する先生を理解する者と理解しない者の差であり、その元にある明治天皇防御にともなう乃木希典の殉死に対する反応の差でもあると。乃木希典の殉死に大きなショックを受けるのはたとえば森鴎外夏目漱石であり、そこにあるのは「我々が通り抜けたあの時代への思い」だろうが、明治15年以前以降に生まれた世代、とりわけ「白樺派」こそは、そんな「精神」からすでに自由であって、「白樺派」発祥の学習院大学という場がその土壌を培ったのだという。もちろん晩年の乃木希典学習院の院長だったわけだが、学生であった武者小路実篤志賀直哉は、少なくとも院長に対してほぼ何の思い入れもない。というよりも彼らはほとんど現代のリベラルとほぼ変わらないメンタリティであったと想像して良いのかもしれない。現在思い浮かべられるような左派リベラルの長所も短所もすでに、まるで絵に描いたようにわかりやすくあわせ持っていたような感じがする。とはいえその後武者小路は自給自足の芸術コミューン「新しき村」を本気で始めるわけだから、やはり今の感覚というよりももうちょっと昔の安保時代の学生に近いのかもしれないが。あと「白樺派」は、なにしろ当時の学習院に入学できるくらいには、大変な由緒ある名家のご子息ばかりだったが、太宰治みたいにそのことへの複雑な屈託とかはない。(白樺と関係ないが、坂口安吾もそうだった。あと武者小路と同級生で歴史研究学者となる大久保利謙(大久保利通の孫)など、むしろ戦後の華族制度廃止に『「解放された」という気分を味わいましたね』…とのことらしい。(ここまで究極の「良家」の子孫であれば、それでも不思議じゃないか。)

再帰性

保坂和志 小説的思考塾 official #2」をリモート聴講した。以下自分なりに、メモを元にした覚え書き。

読解力は害悪。それは官僚の忖度に似ている、読解するな。そういう力を鍛えるな。

聴きなれない言葉や見慣れない言葉を、辞書のようにおぼえてしまうのではなく、それをいかに自分のなかに無理やりにでも消化して咀嚼しようとするか。辞書や百科事典的な知識、蘊蓄としての知識しかもたないということの、どうしようもない薄っぺらさ、それは小説からはるかに遠いもの。

作品に対して、なんとか賞の選考委員が何かを言う。あたかも選考委員が高い位置にいるかのように言う。でもその選考委員は自らの言葉によって、その欲望を見透かされ、値踏みされ、計られる。論じてるあなたが、その言葉によって見られる。言葉を発したら、その言葉は思惑のとおりに受け取ってはもらえず、むしろその下心、あなた自身の欲望を先に読まれる。

再帰性。分析する側も患者と同じ平面にいて、そのサイクルに巻き込まれる。あなたとわたしは同じ土俵にいる。わたしとわたしの書くモノは同じ土俵にいる。操作するものとされるものの関係など作れない。だからわたしはわたしが書いたことに傷つく、それでも自分が書き始めて、やがて書き終えたとき、その段階でわたしは以前とは変わってしまっている。自分から出た言葉に、自分で傷つかない人はいない。喋ってる内容に、無傷なままでいられる私なわけではない。メタレベルはない。

ところで、自分(保坂和志)は、自分ひとりの力では、こんなふうにインターネットを介したリモートでのトークなど出来ない。これを実現するためには、手伝ってくれる若い人の協力がなければできない。それはその通りだから、出来ないよりも出来た方が良い。とはいえ、出来ること、スキルがあることのデメリットもある。何かをするために、すでにスキルを持ってしまっていることに無意識・無自覚になってしまう、知らないうちに何かを習得してしまっていて、そこに気づけない、それが見えない足枷になる。本来なら誰に指定されたわけでもないのに、習得済みの自分がもともとのかたちを最初から規定してしまう。そもそも、文章は誰にでも書ける。紙と鉛筆があればできる。紙と鉛筆があれば実現できるはずの根本的な場所への想像力が忘れられてしまう。

スリープ

眠りに落ちそうなはずだった、すでに眠っていたのかもしれない。でも落ちきれずに、意識が浮上してきた、また夜の寝室に戻ってきてしまった、そのことに気づいた。横になった身体の諸感覚が戻ってくると同時に、自分の心臓の鼓動が、すこし早く動悸していることに気付いた。心臓の動き以外の身体機能のほとんどが、まだ睡眠時のスタンバイモードに切り替わったままだったので、落ちきらなかった意識が鼓動だけを強く意識している感じだった。眠ろうとする身体のそのとき専用のモードに入っていたことがわかった。予想外な展開で覚醒したので、軽く目が回ってるような感覚をおぼえた。横になったまま、地面が揺らいだように感じられて、もしかしたら地震ではないかと思って、「地震?」と、つい口にした。それを聞いた隣の妻が目を覚まして「え?揺れてないでしょ?」と言う。そう言われたら、そうか。ふたたび目を瞑って、眠りの方向へ向かおうとした。いつしか意識が遠のいて、でもまたしばらくすると、やはり意識だけがスタンバイせずに、同じように戻ってしまって、またさっきのように、諸感覚を待機中の身体に再接続されたのを感じた。結局その夜はそんなのを数回くりかえしていた。そういうことはたまにある。でも何度目かに、ようやく無事に落ちた。眠った。

安吾

坂口安吾を読んでいると、意外に、というか、けっこう保坂和志的な感じがする。その思弁性というか、小説の枠組みの中で縦横無尽に言いたいことを混ぜ込んでいく感じ、小説としての体裁が壊れていくことに頓着しない、むしろ積極的にそれらしくない感じを呼び込もうとする感じに、おお、ここに、すでにあの感じがあると思わされる。

 同時に、けっこう司馬遼太郎的な感じもある、というのは柄谷行人坂口安吾論」に「勝海舟とか織田信長、ああいうのを見つけてきたのは安吾なんですね。司馬遼太郎はそれをふくらませただけです。」とあって、それも踏まえて「二流の人」を読んでいて思ったこと。歴史小説としての安吾のスタイルは、その着眼点といい形式といい、その時点でほとんど安吾の発明と言って良いくらいのものだったのか。司馬遼太郎敵な語り--話を勧めつおそろしく冗長に回り道的な傍流エピソードを混ぜ込んでいく--の取り留めなさの源流みたいなものが「二流の人」ですでにはっきりと感じられるのには驚く。

しかし安吾をもう一度きちんと読み直したい。先日一部を引用した「帝銀事件を論ず」とか、読んでいて思わず泣いてしまったよ・・。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42824_26495.html