ナイチンゲールは、自身「天使」のイメージが世間に流通してしまったことについて、おそらくは我が身の不幸とあきらめていながらも、それを最大限に活用して、著述活動や各種制度の樹立を、推し進めたのだろう。また「看護=天使」イメージの有効活用は、彼女自身を越えて、何よりも軍事や国家にとって都合の良い戦略だったのだろう。

兵隊もそうだけど、看護だって「人の役に立つ」ことであり「あなたは必要とされている」ということでもある。若い人がそのような仕事に憧れ、それを目指すのは当然のことであり、それは仕事というものの本質でもあるのだが、国家が戦争に向かうときには、必ずその手の惹句で、国内の人々を惹きつけようとするものだろう。

戦地へ行くこと、看護を志すこと、従軍すること、それは就職先でもあり、新たな経験可能性の宝庫であり、誰かから必要とされることでもある。私と世界とがぴったりと組み合わさって、それで私が健やかでいられる答えの一つだ。

戦争が私を、少しは賢明で思慮深い人間にするかもしれない、そんな理由で戦争あるいはその近傍へと向かう人々が、おそらくたくさんいた。

すくなくとも十九世紀半から二十世紀初頭はそうだった。まだ看護が新しかったように、戦争もまだ、未知の期待、新しい何かでもあった。

そして戦争はいまだに過去の遺物ではない。もう新しくはないけど、もはや誰も見向きもせぬ無価値なものになった、というわけでもない。これは、驚くべきことなのかもしれない。

ナイチンゲール以前、つまり十九世紀前半まででも看護婦という役割の女性はいたが、実態はほぼ一日中酒酔い状態で病人の周囲を徘徊しあわよくば窃盗の機会さえ狙うような、社会不適合者ともいうべきイメージだったらしい。じっさいには、そうじゃない人物もいたかもしれないが、病院の看護婦と言えば一般的にそういうイメージだったのだと(ディケンズの小説の登場人物である看護婦が、そういったイメージの典型として描かれているらしい)。

そもそも、病院という施設が今とは全然違っていて、病院とはつまり救貧院であり、死を待つ人々が集まる場所という感じだった。上流階級なら、病気になっても入院することはなく医師を招いて自宅で療養するのが一般的だった。ナイチンゲールの著作「病院覚え書」には「病院の第一の必要条件は、病人に害を与えないことである」と書かれている。つまりそれまでの病院は、そうではない場所だったのだ。

クリミア戦争の最中、ナイチンゲールが看護団を引き連れてスクタリの兵舎病院へ赴いたとき、院内は地獄の様相を呈していた。陸軍と官僚の指揮の下で軍医らが働いていたが、現場は不潔と混沌の巣窟と化していた。ナイチンゲール看護団は辛抱強くこの病院内に役割を見つけ、関係者の間に割って入り、医師らに看護の必要を認めさせ、換気、清潔な設備と道具、病床の間隔、見回りの周期、すべてを最初から取り決め、自分らの看護体制を構築していった。

ナイチンゲールの「現場経験」は、この兵舎病院で奮闘した三年でしかない。その生涯を通してみた場合、彼女はけっして「臨床の人」ではない。しかし逆に言えばこの三年こそが彼女の生涯を決定した。ここで得た課題にその後の長い生涯を掛けて取り組んだ。

それにしても、ナイチンゲールの「初現場」が兵舎病院であったこと。戦場で傷付いた者が次々と運び込まれてくる病院だったということ。看護においても近代化のきっかけはやはり戦争だったと言えるだろう。

近代看護が病院の在り方を変え、患者の死亡率を低減させた。何よりも戦争という現実がそれを必要とした。人間をきちんと迅速に正しく治すこと。戦場以外で、ましてや病院内の感染症で死なせてしまっては、元も子もないのだ。ナイチンゲールは一言もそんなことを言ってないだろうが、近代看護は国家と不可分であり、不可分なかぎりにおいて、ナイチンゲールの提言は聞き入れられ、次々と実現されたのだろう。

自宅を出て、綾瀬川を渡って、千住新橋から荒川を渡って、さらに北千住を通り抜けて、千住大橋から墨田川を渡って、南千住駅まで歩いた。歩きすぎた。さすがに疲れた。

最近の南千住と言えば、高層マンションであり駅周辺の商業施設というイメージがあったが、歩いてみるとやはり、この地は依然として物流倉庫や工場、車庫の町であり、その一部にまるでとってつけたように、新しい商業施設が貼りついてる感じだった。

工場とか倉庫とか車輛基地というのは、やたらと巨大で広大な敷地内を、一般人がまったく立ち入り不可というところが特長的なのだ。つまり壁とかフェンスとか、遮るものばかりで視界が構成されている。

だから新しさと従来の景色が、容易に混ざり合わないのだ。異なるもの同士が互いにそっぽを向き合っている。(「虚の透明性」を生じさせるような、異なる者同士の拮抗がいっさい感じられない。)

僕が子供だった昭和の一時期、もしここ南千住あたりに生まれ育ったとしたら、それこそ子供の遊び場なんていっさい無い、まったく無機質で殺風景な景色の下で、育つことになったのだろう。灰色の壁と曇った空とトラックの排気ガスの向こうに、くすんだ色の墨田川が流れている、そういう景色だろう。

とはいえあの頃なら、自分の育った土地もたいして変わらない。工事現場と埃っぽさと灰色の国道を行き来する自動車ばかりで、大した違いはない。

今はまるで冗談みたいに明るい緑があちこちにある。植樹が当たり前になった。四、五十年前と較べたら、色数が百倍くらい増えた。今ここに生まれ育っている子供たちは、何色を見ているのだろうと思う。

あらたに入会したジムのプールで泳いだ。更衣室、シャワー室、プール、それぞれをつなぐ通路の相違とか、シャワーの出方とか、プール幅(コース数)の違いとか、プールサイドの作りが違うとか、私物入れの位置とか、当然ながら前の施設とは細かくいろいろと違いがある。自分でも意識できないくらい、そういう細々としたことに、今まで慣れていたのだと知る。

自分の泳ぐフォームが、なんとなく無様になった気がするが、じっさいはどうなのかわからない。自分が泳いでいる姿を自分で確かめることはできない。スタッフの人に頼んだらスマホとかで撮影してくれたりするのかもしれないが、そんなことは依頼しない。これも慣れの問題で、不慣れな環境でたまたま意識が向いているだけで、慣れてしまえば自分のフォームなど、今まで通り気にならなくなるのだろう。

帰宅後、寝室でごろんと身体を横たえて本を読んで、そのまま仰向けになって天井を見つめていると、開けた窓から風がゆっくり入ってきた。暑くもなく寒くもないとはまさにこのことで、背中に密着したシーツが気持ちよく冷えていて、自分の身体の表面がさらさらと乾いていて、こうして身動きもせずにいるだけで、快適過ぎてそのまま意識が薄れそうになる。五月の日中ならではだなと思う。

言葉で物事を説明するとき、まず結論を言って、次にそれの根拠となる条件を挙げるとする。たとえば、ほんとうに幽霊を見た、そのことを書くならば、それが本当である根拠を並べるべきなのか。

いや、そうではないのだ。ほんとうに幽霊を見たあなた自身を、よりよく現わすことができれば良いのだと誰かが言ったとする。なるほどたしかに、自分がほんとうに幽霊を見たのは動かぬ事実であるならば、そんな自分をより正確に言葉で説明できるなら、説明先の相手にとっても、ほんとうに幽霊を見た経験そのものについての説明は省略できるに違いないだろう。

ただ、自分は逆に、ほんとうに幽霊を見た自分の経験とか、そんな存在である自分そのものを説明したいわけでもないのだ。そこを誤解されたくない気はするのだ。書くとどうしても、自分の意欲がまず前に出てしまう、そこは何とかならないのだろうか。

誰かが私を信じようが疑おうが、ひとまずどちらでもよくて、本質的問題は幽霊の言い分なのだ。私がほんとうに幽霊を見た経験そのものについてはどうでもいいのだ。私が説明すべき物事とは、私が見た幽霊を誰かに信じさせるために工夫されるべきであって、でも言葉で物事を説明するとき、なぜ説明主体である私が、ことの信憑を常に疑われなければいけないのか。

幽霊は常に、あなたがほんとうに私を見たということだけを言う。私はだからそれだけを言葉で誰かに伝えなければならない。でもそのことに誰もが失敗する。こうして誰もが浮かばれない。気の毒なのは、幽霊でもなければ私でもない。

ミシェル・フーコー的な権力と知の関係、一筋縄で捉えるわけにはいかない力の発動と、それと不可分に作動する知との関係について考えるときに、僕はたまたま現在の関心がそれに向いていることもあり、ナイチンゲールという人物のことを思い起こしてしまう。よくも悪くもナイチンゲールこそは、その生涯において権力と知との複雑な絡み合いを体現した存在であり、この人物こそは「近代」のサンプルにうってつけではないかと感じられる。

ナイチンゲールはつまり「看護」を近代化した人物で、もちろんそのモチベーションの根本には「慈善」や「慈愛」もあるだろうが、もちろんそれすらある人物の内面から発して広まっていったというよりは、ある得体のしれぬ力のうごめき、不断で分散的な寄り集まりと離散の運動下における一要素にすぎないだろう。ひとりの人物が、何らかの目的をもって事を成すということ自体が、事後的な物語にすぎない。クリミアでの慈愛の天使というイメージも、烈女のイメージも、統計学者のイメージも、すべてナイチンゲールその人とは無関係だし、ナイチンゲールその人さえ自分を知らないし、何かを知るとは個人について知るということではない。

近代の、少なくとも19世紀半ばからはじまった、わけのわからなさについて忘れることのないようにしつつ、今我々の生活に行きわたっている衛生状態をありがたく思い、同時にそれが災害その他で意外なほど脆く崩れてしまうことも、しっかり想像しておくこと。

(現代のたとえば「ゴミ屋敷」さえ、昔の貧民窟とくらべたら比較にならぬほど衛生的であるだろう。しかし昔の貧民窟の汚穢が今後絶対に復活しないとは言えないだろう。そして想像を絶するような、致命的なレベルの不潔さに慣れてしまうことは、今の我々にまだ不可能なわけでもないだろう。)

これまでのフィットネスクラブの会員資格が失効してしまったので、法人契約可能な別のクラブと契約した。しかし一か月くらい経ったのにまだ一度も行ってない。

月会費ではなく都度支払いだからそれでも良いのだが、それにしても通う習慣が途切れると、まるで気が向かない、それどころか、ありえないというか、わざわざ帰宅途中にそんな寄り道なんて、常軌を逸した行動のように感じられる。以前あれだけ毎日のように通っていたのが、果たして今の自分と同一人物なのか訝しいほどだ。

もちろん、はじめての場所へ行くのが億劫というのもある。同じ毎日を続けていたい、余計なインターフェイス増やしたくない陰気な欲望もある。

運動は、自身の正確な判断力とか知覚を取り戻すことができる、と、運動すれば、その直後にはそう思える。感覚が一度洗われるような感じ。つまり感覚の一段手前の部分が(非・感覚的に)さっぱりするのだと思う。道具の分解と再組立のようなものだ。再組立後も分解時の記憶が残って、不安定にふらふらする、それが良いのだ。それはわかっている。

運動不足とは安定状態ということだ。一度固まったルーティンを更新するための意欲を強引に掻き立てないといけない。