2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧

YMOのTECHNODON(1993年)は、もしこの作品がなかったらどうだったのか。YMOの歴史的にこの作品は、良くも悪くも欠かせない何かだったのではないか。すくなくとも90年代、これがなかったらYMOの歴史は完全に途絶えたことになるので、たしかにいつかどこかで再…

バスター・キートンはなぜ、ブルース・リーやジャッキー・チェンのようではないのか。 それはブルース・リーやジャッキー・チェンが、すでに映画という媒体をよくわかったうえで、そこに自分の身体をどのように挿入するべきかを、あらかじめ計画したからで、…

三宅さんの日記で知った笹野真「手のひらたちの蜂起/法規」(いぬのせなか座)を入手する。きれいな装丁である。まずは一度通読した。後日はじめから再読するつもり。 一読したかぎり、まず身体から出ていく/戻ってくる感覚をもとに、その不確かさ、信用な…

U-NEXTでケリー・ライカート「ショーイング・アップ」(2022年)を観る。オレゴン州にある美術系大学、その学生たちと、教員や教務系スタッフたちと、レジデンス制度で滞在してる作家と、近隣住民ならびに大学卒業後も住居兼アトリエを構えて制作を続ける若い…

小菅ジャンクションが、綾瀬川の上空に浮かんでいる。巨大な二匹の蛇が、それぞれの頭を同じ穴に突っ込んでいる。 十数メートル頭上を、何台もの車が走っていく。あの運転手たちは自分らがいま空を飛んでいることを、わかってないのだろうなと思う。飛ぼうが…

ジャン=リュック・ゴダール「フォーエヴァー・モーツアルト」(1996年)をDVDで観る。90年代はこうだったのかと、いやまさか、本当なの?と、まるで自分が生まれてない時代のように、感じるところもある。ならば私は何時代の人なのか、よくわからなくなる。そ…

荒川の川幅は広い。橋を歩いて渡るとき、妻と二人でのんびり歩くと、渡り切るまで十五分とかそのくらい掛かってるかもしれない。 いつも思うけど、橋から川面を見下ろすと、これは空を飛んでるのと同じだなと思う。真下が全部水で、それが見渡すかぎりずっと…

人が入ってこない柵の内側の、日当たりがよく暖かい、じっとしていればいくらでもそこにいられる場所に、猫はじっとしている。エアコン室外機の上に、すぐ脇に干されたスリッパの裏側に鼻先を近づけるようにして、猫がじっとうずくまってる。何もそんな汚れ…

マティスの「ヴァリエーション」と「プロセス」写真群を見ることの難しさは、それがつい、完成とか結末に向けて進みゆく過程のように考えてしまいがちなところにあるだろう。一連の物事が変化していくとき、それはどうしても「より良くなっていく」ことが想…

連続講座「未だ充分に語られていないマティスとピカソについて」でのマティス「赤い部屋」分析を聞いて思ったこと。なぜこの絵から「すべてが流動しつつ静止していて」「見ているこちらの足元をすくわれ、知覚の根底を揺さぶられる」ような感じを受けるのか…

Amazon Primeでケリー・ライカート「ミークス・カットオフ」(2010年)を観る。最高だった。見事だった。なんというモッタリ、モタモタした展開であり動きだろうか。ロード・ムーヴィーであるなら腹を括ってここまでやらなきゃということか。徹底した引きのシ…

RYOZAN PARK 巣鴨で、古谷利裕 連続講座 第1回「未だ充分に語られていないマティスとピカソについて」。ひとつの絵画をとことん観る。つまりとことん分析し、腑分けし、受け取ることの出来るイメージを並べて吟味してみる、これは絵画の分析でもあるけど、…

夜、Eさんと上野で待ち合わせる。すし屋に電話したけど出ない。そもそもあの店で当日予約なんか無理だろと思い直し、やはり上野は撤退しよう、北千住に逃げようとなる。急遽候補とした店に電話したらOKだった。それどころか珍しく店内がら空きだった。おかげ…

CHAIはyoutubeとかでライブ映像を観るたびじつに良かった。解散と聞いたら意外なほどの喪失感。 あと一枚カードが揃えば前代未聞のロイヤルストレートフラッシュで、役満で上がりの一歩手前だとしたらどうか。期待だけはあるけど、現状は無意味で無価値だと…

山手線のドアが開くや否や、猛然と走り出して、JR西日暮里駅ホーム階段を駆け下りて、さらに千代田線乗り換え口までの長いエスカレーターも一挙に駆け下りて、さらに速度を落とさずに下り方面ホームに続く階段までも駆け下りる。 あたかもダウンヒルにアタッ…

子供の頃に読んだ本で、貧しいお爺さんが食べるものが何もなくて、紅茶を飲んで空腹を凌ぐ、そんな場面を記憶しているのだが、あれは何のお話だったのか。 富める者と貧しい者の両者が存在するのは、聖書よりも前の時代からそうなのだし、この世に存在する童…

岡﨑 乾二郎「頭のうえを何かが Ones Passed Over Head」より引用です。 リハビリは患者の心身機能の改善を促す訓練です。社会的関係としてみれば心身が社会生活に対してもっていた機能を「恢復」することにありますが、損傷し壊死し、欠損してしまった脳組…

今夜はすきやきにするか、それを先月あたりから何度となく提案して、そのたびにどうも乗り気になれず、自ら言い出したその案を結局引っ込めてしまう。 すきやき。その味わいを思い浮かべると、最近なぜか気が進まない。どうもなんとなく、くどい気がしてしま…

最寄り駅に着いたら、空があきらかに怪しげな色に染まっていた。これはじきに降ってくるとみて、徒歩帰宅ではなくバス乗り場へ向かう。 バスが走り出しほどなくすると、何やら白いものが斜めの線を描き次々とへ落ちてきて、いきおいよく地面に跳ね返ってる。…

大規模な駅では複数のプラットホームが密集していて、その地下あるいは高架上に駅構内があって、商業施設など密集したそのスペースから目指す出入口に向かうとき、それは複数ひしめいている駅ビルデパートの出入口を兼ねているので、改札を出てから地上へ出…

The Zombiesの"Time of the Season"は最近のテレビCMなどにも使われたこともあり有名な曲だが、これは曲としてほんとうに素晴らしくて、この曲が収録されたアルバム"Odessey and Oracle"のリリースは1968年で、僕がこれをはじめて聴いたのは80年代で、当時こ…

ふだんCDやレコードから引っ張り出して聴くわけでもなく、ライブラリに登録してるわけでもないけど、日常のなかで、とくに朝とか、歩いているときとか、そういうときに、なんとなく頭の中に流れてくる曲がある。曲というか、曲未満の、一区切りのフレーズだ…

タランティーノの「レザボア・ドッグス」が、いま映画館でやっているのだな。むかし観て以来、何十年経ったのかと思うけど、でもあの、痛そうなシーンのことが今でも記憶に残っていて、もう一度観てみようとは思わない。 たしか冒頭で、ライク・ア・ヴァージ…

そうか成人式かと思う。色とりどりの着物姿が、今日だけは鳩のかわりに公園を大量占拠してる。いまさらながら、奇妙な催事だと思う。駅前にも、コンビニにも、スーパーの食品売り場とかにも、赤や白が、いっぱいいる。きっとあの二階のファミレスにもぎっし…

Amazon Primeでケリー・ライカート「ウェンディ&ルーシー」(2008年)を観る。ただの好みの問題で、優劣などないし、比較自体が無意味なのは承知の上で、つい「枯れ葉」と較べたくなってしまい、そしてこっちの方が全然いいなあ、と思ってしまった。 貧困、失…

柏のキネマ旬報シアターで、アキ・カウリスマキ「枯れ葉」(2023年)を観る。ロシア・ウクライナ間の戦争報道が、ラジオから聴こえてくる。それは戦争が続いていることを示すと同時に、この時空間が我々と同時代であることを示す。だからそれは同時代であるが…

Amazon Primeで、黒澤明「姿三四郎」(1943年)を観る。戦時下に公開されたこの映画が当時どれほど衝撃的だったかを、リアルタイムでこれを観た人々の残した言葉から今もうかがうことはできる。おそらくは、映画がはじまって間もなくすぐの格闘場面から、それ…

中途半端に遅い時間になってしまい、スーパーの食材にはこれといって惹かれるものはなく、今からつくりたい料理も思い浮かばす、その時間もなく、かといって外食に適当な店も見当たらず、今夜の食事をどうするのか決めかねたまま、二人で家までの道を歩いて…

猫はけっしてそうは思わないだろうが、犬はできるだけ何かの役に立ちたいと、いつも思っている。必要性というものに、自分を溶かし込みたいと願っている。それでこそ我が身の存在の輪郭が、はっきりすると信じている。 犬は嗅覚がするどく、犬は早く走ること…

PlayStation VR2を少し体験させてもらった。前バージョンが2017年だからずいぶん久しぶりだけど、印象としてさほど大きな変化は感じない。しかしやはり面白いことは面白くて、ことに「大きさ」「広さ」「高さ」を臨場感をもって見る手段としては、とても優れ…