2023-01-01から1年間の記事一覧

新しい敷布団を買ったので、古いものを捨てるのだが、そのままだとかなりの大きさなので、真ん中から裁ちばさみで切って分断する。 この敷布団はたしか自分が実家から持ってきたやつで、ということは少なくとも二十年以上、もしかすると三十年近く使い続けた…

ヒューマントラストシネマ有楽町でケリー・ライカート「ファースト・カウ」(2019年)を観た。こんなに面白くていいんだ…と、意外に思うくらい、面白かった。ちょっとサスペンス的というか、どうなってしまうのか…という不安と期待で最後まで引っ張られていく…

斎藤寅次郎「東京五人男」(1945年)を、ただしyoutubeにあがっていた不完全なもので、これだときちんと観たことにはならないのだが、以下はとりあえずその不完全な条件下でみたうえでのの感想である。 古川緑波。「ロッパの悲食記」における戦時下の特権的食…

スタニスワフ・レムの「ソラリス」を読んでいる。 彼女は存在するのか?という問いはそのまま、自分は正気か?に接続されてしまう。自分が正気でないとしたら、問題は彼女なのか自分なのか、存在とは、私とは何か、この「解決」への欲望の矛先をどこへ向けれ…

年末とはいえ、大船方面へ走る京浜東北線の朝は、まだかなり混雑していて、浜松町を過ぎたあたりからようやく立つ人がいなくなって、座席も空きはじめる。横浜へ近づくにつれて、また人が増えはじめる。 金曜日まで平常どおり仕事なのだが、この一週間はやけ…

ここ数日でたまたまテレビの映画宣伝番組から聴こえてきたせいで、ルー・リードの"Perfect Day"が自分の脳内にもこびりついてしまい、ことあるごとに頭の中で連続再生状態になっている。ヴェンダースのルー・リード好きが、無際限に世間へ拡散されてるように…

休みの日の午後になると妻がお茶を入れてくれる。お茶の種類もいろいろあるけど、先日飲んだアールグレイの紅茶には、思わずため息が出た。何の変哲もない、そのへんに売ってるただの茶葉に過ぎないのだけど、味わい深さにしみじみとした。 冬の室温のなかに…

昨日のことだが、保坂和志の「小説的思考塾vol.14」のためRYOZAN PARK巣鴨へ行く。 きっかけとしてのテーマがあり、モチーフがあり、それを元に考えを巡らせ、言葉をあてがう。言葉それ自体はありふれたものの集積でしかないから、それらはすぐにいつかどこ…

南天子画廊で「岡﨑乾二郎 出版記念展 Ones Passed Over Head 頭のうえを何かが」を観る。 はじめはたどたどしく様子をうかがうような気配だったのが、早急に恢復され、要素がうごめきはじめ、速度を早め、密度を高め、線は植物のように伸び、色は広がりをま…

DVDでジャン・ルノワール「ゲームの規則」(1939年)を観る。そうなんだな、この時点で映画はここまで出来上がっている。というかこれ以降は大きな変革もなく、これまでのフォーマットを使いまわしているだけとも言えなくもないよなと思う。 全体の印象として…

スタニスワフ・レムの「ソラリス」で、ステーション内の混乱状況をひとしきり見入ったケルヴィンは、いっときの眠りから目を醒ます。自分がベッドに寝ていて、そのかたわらには、彼の奥さんがいる。窓の外からの光を背に受けた逆光気味の彼女がまっすぐにこ…

見た夢のディテールは、目覚めたと同時にうしなわれることがほとんどで、よしんばおぼえていたとしても、それを事細かく書き留めておいたからといって、それが何になるのか。あの幸福感や後ろ髪を引かれるような感じが書き留められないのだとしたら、何を書…

先日、やや大きめの"ナット"が必要になり、もしかすると百円ショップにあるんじゃないかと思って見に行ったら、たしかにナットは売っていたのだけど、求める口径のものはなかった。しかし、ほんとうに百円ショップにあるんだなとは思った。 日常で細々とした…

坂田尚子の「FLOWER CLOUDS」を銀座山野楽器のCDフロアで偶然見かけて、坂田尚子という音楽家をはじめて知ったのは今から十年前のこと。その場で視聴して、これはいいかもと思って、そのまま購入したのだった。自分の場合そういう購入の仕方は稀なので、今で…

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀 『ジブリと宮崎駿の2399日』」を見た。宮崎駿は高畑勲に対してこれほどまでに強く強迫観念のような思いを抱えていたのかと。使い慣れてない言葉を使ってアレだけど、宮崎駿にとって高畑勲は、父であり大他者であり強力…

昼からちょっと一杯のみたかったらどこに行こうか?わざわざ駅前までは行かずなるべく自宅から近いところで少しとなると、歩いて五分くらいのところに蕎麦屋が一軒ある。蕎麦屋だけどかつ丼もラーメンも定食も出すようなよくある店で、あんな店ならいちばん…

ジャン=リュック・ゴダール・アンヌ=マリー・ミエヴィル「うまくいってる?」(1975年)を観る。印刷会社で働いていて労働組合員でもある男が、社内で働いてる従業員らの様子をカメラにおさめた記録映像を制作し、その制作途中経過を同僚の女性に相談してい…

今年も年賀状は、書いて出す。出す枚数も来る枚数もずいぶん少なくはなったのだが、今年も一応、書くことは書く。例年通り、発注印刷のはがきに宛名を書くだけの作業だけど、始めると数時間は掛かるのでそれなりに面倒くさく、しかし恒例行事の季節だなとい…

昔の漫才を今見ても、昔のギャグマンガを読み返しても、今はもう笑えないことは多い。昔読んで大笑いしたのがその箇所だというのはおぼえているのに、そこから笑いを誘発されることはない。 笑いの耐用年数はじつに短くて、それは社会のもっとも上層で、人同…

ミキサーからのアウトプットは2系統あって、片方はスピーカーへ、もう片方はオーディオインターフェイスを経由してPCへ送っている。したがってミキサーから送られてきた音であればPC側で録音できるのだが、数日前、録音が正常に機能しないことに気づいて、何…

皇居東御苑の高台から、目下の堀と生い茂る木々の向こうに、竹橋方面に立ち並ぶビル群が見えた。あのビル側からも、この森の様子がよく見えるのだよなと思う。毎日新聞社ビルはずいぶん古く見えるけど、建て直しとかの計画はないのだろうか。できるだけその…

平川門から入って、皇居東御苑内をぐるっと巡る。冬の気配はまるで無くて、陽の光に干されて乾いた空気がこの城跡の敷地内のすみずみまで行きわたり、紅葉はところどころ、赤かったり黄色かったり、どうも冴えなく色あせていたり、中途半端なまま、もう終わ…

昼過ぎに六人で集まった。浅草は久しぶりだし、もしかするとこれまで夜ばかりで、日中に来たのは今日がはじめてか。さすがにそれはないか。昼間の浅草寺が、やけに新鮮に見えた。まさに観光地の賑わいと大変な人混み、日差しは熱を含み、冬の気配まるでなし。…

ジャン=リュック・ゴダール・アンヌ=マリー・ミエヴィル「ヒア&ゼア・こことよそ」(1976年)を観る。かつて別のタイトルで作られた作品が別の姿となり、今こうしてここにあるということを、映画自身が語るのだが、映画の内容というか、その中身、実体を語る…

ぼく:「ところでブラックフライデーって知ってる?あれどういうこと?」美容師:「私も知らないです、一度お客さんに聞いたんだけど、もう忘れちゃって…。」ぼく:「たしか騒いでたのって先月くらいだよね?安売りセールみたいなもの?」美容師:「そうでし…

食物の恨みの恐ろしさ、食物をめぐる人間同士の争いや裏切りや嘘を、僕は経験したことがない。それは生まれた時代の恩恵だったろう。自分の親世代ならどうかと言えば、たとえば1941年(昭和16年)生の亡父は戦時下や敗戦直後のもっとも厳しい時代に、まだもの…

小林信彦の短編「息をひそめて」(初出1979年)を読む。時は1950年代、大学を出たけれど就職難に苦しむ主人公は、母親の伝手から叔父の会社で働くことになる。会社と言っても従業員は叔父と叔父の愛人である清宮さんとその長男で、しかも長男はすぐに辞めてし…

上野の西洋美術館の常設展示室に、ブラングィンという画家の「しけの日」という古臭い感じの絵がある。僕はこの絵の前に立つと、いつものことだが、一瞬我を忘れてしまい、長いことまじまじと観てしまう。 荒れた海、鉛色の空、暴風に覆われた、ほとんどモノ…

上野の国立西洋美術館で「キュビズム展 美の革命」を観る。セザンヌの描く空、あるいはコローやシスレーやモネの描く空を見ていると、もし彼らが昨日とか今日、ここ日本の東京の晴天の冬空の、青色と紅葉の黄色やオレンジ色とがはげしくぶつかりあっているの…

早稲田駅から学習院女子大学まで歩く。通用門で用件を伝え「浅見貴子展 在り在りて。―その先の光」を開催中のギャラリーまでの構内の道順を教えてもらう。広大なキャンパスを歩きながら、いつ建造されたのかと思うようなレンガ壁のすばらしい建物が紅葉した…