「Tails Out」Otomo Yoshihide's New Jazz Quinted


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ポップミュージックやロックミュージックでは大抵、ビートが強調されているので、曲が展開されている間は常に「 ど! ぱん! ど! ぱん! 」という打撃音が連続して、それがグルーヴをかもし出すのであるが、しかし、たとえば、その音源を録音したテープを逆回転させると、音のアクセント位置もきれいに逆転してしまうため、今度は逆に「 んぶ! …シュバ! んぶ! …シュバ! 」という、まるで口から強く息を吸い込むような音へと変貌する。


The Beatlesの「Strawberry Fields Forever 」が素晴らしいのは、何かを付け加えようとした結果なのではなくて、まるで強く息を吸い込むかのごとく、何かを差し引こうとした結果、あのようなものが出来てしまったのではないか?と予感させられるような感触において、素晴らしいのである。


何も無い空間で、ただ思いのままに、思い切りスネアを叩けば「パン!」という音が炸裂するだろう。これはこれでまったく問題ないし、それで良いのだが、問題はその録音した音源を逆回転させたときに、何が起こっているか?なのだ。逆回転されて「 …シュバ! 」という音が再生されたとき、それは決して、かつてその場で思い切りスネアが叩かれた事を否定するという事ではもなく、かつ、それを無かったことにしている訳でもないのだ。それらのどれでも無い、それらの中間にあって強烈なニーズを発するような、非常の強烈な何かが起こっているのだ。


そのような強烈なニーズの生成を目指したい、と常々思っている。付け加えるのではなく、差し引くこと。間引くこと。隠すことで予感させること。あるいは風のざわめきというか、光を遮蔽する事物の影のたたえる何か。揺らぎの振動。その強烈な必然性。。など…


ところで、大友良英の「Tails Out」に収録されている「Strawberry Fields Forever」の素晴らしさを言いたくて、そもそもこの文章を書き始めたのだった。大友良英の数あるアルバムの中でも個人的にとても好きな一枚で、とくにアルバム一枚通して聴いたときの感触は他にかえがたい素晴らしさである。


ちなみに、本作に収録されている「Strawberry Fields Forever」は、決して何かを差し引こうとしているようには聴こえない。ぼくが前述した内容と、この演奏とは、まるで全く違う。むしろ、決然と開き直って、真正面から曲をわしづかみ、まっとうに曲たらしめようとしているかのようだ。ほとんど完コピで、おそろしく愚直に弾かれるギターの旋律の素晴らしさ。熱くたぎるようなドラム。メロディの線上を、あたりに飛沫を飛び散らかしつつ盛大にはみ出し溢れさせながら、愚鈍に進行する管楽多重奏団たち。。あまりにもストレートで、情熱的で、「Strawberry Fields Forever」という元々ネガとして生れ落ちたかのようなこの曲が逆向きで炙り出されて、却って新たな別の世界の何の変哲のない、つつましくも美しい佳曲へと、いきなり生まれかわったかのようなのだ。それが唐突にいつも歩く道ばたに落ちていたみたいな凡庸なありさまを僕は勝手に思い込み愛している。


アルバムはこのあと、すばらしきミンガスの「Orange Was The Color of Her Dress, Then Blue Silk」を経て、本作に収録された音楽の世界旅行は終わる。そして、全ての幻想が果てたあとの夜明けの空のような静謐さに押し出されるようにして最終曲「Tails Out」が、たちあらわれる。