光・影・まなざし・疾走…あと何か…


「にほんかいいもうとといぬ」をとりあえず一回目、最初に観たときの印象として、率直に一言で言うなら、途方にくれたというか、心のやり場のなさ、というか、困惑、というか、戸惑い、というか、そういうものであった。…しかし、なにしろ作品の長さが10分程度だというのが良くて、そのくらいの時間であれば、相当、何度でも観返せるのである。10分、というのは、もう一度観てみよう、とまったく問題なく思える長さであり、結果、少し時間を置きつつも合計4回見たと思うが、10分という時間の中で起こることを、反復して大体4回ほど観ると、1回観ただけではとても掴みきれないような事が、相当たくさん、掴めたような気になるのである。というか、この10分の間に起こることのすべてを、すべて記憶できる、というのは正直、絶対に無理なのだが、でもかなり多くの引っ掛かりのポイントを見つけられるのだ。その一連の「展開」みたいな中で、起こっている何かを見るだけの余裕ができてくる。逆に言うと、それくらい余裕をもたないと、実際起こった事を見る、というのはきわめて難しいのだ、という事かもしれない。その段階だともはや、10分とか1時間とかいう話ではなくなる。時間に関係なく、何かを見ることになる。あるいは何も見られないことになる。


で、じゃあ何が起こって、僕は何を見たのか?見てないのか?というのをこれから書けるか?というと、それは正直、途方にくれるしかない。僕はむかし、実家で犬を飼っていて、毎日夕方には犬を散歩に連れて行ってたので、映画の冒頭で、カメラを構えている姉が、砂浜に入る柵を越えるとき、犬が柵をくぐって、それと同時に、そのまま引っ張られそうになる紐をもった腕から、その紐を、一瞬手放して、柵を越えてからもう一度持ち直したりするところとかは、すごく犬の紐をもってる感触を思い出させる瞬間だったりしたのだが、そんな些細な事より、それから始まる出来事の方が、とてつもなくすごくて、その後はもう、途方にくれるしかない。


複雑な模様を描く砂浜、細く真っ黒に何本も突き出た杭、太陽の光を反射して真っ白にぎらぎらと輝く海の表面。何よりも圧倒的なのは、その風の音だ。集音マイクに直接ぶつかるただのノイズと化した強風の「ボボボオッボボボボッボオオボボボボボ」というすさまじい音。この音が全編にたちこめている、というのが本作の印象をまず決定づける。この作品を観る、というのはつまりこの音を聴く、という事だといっても過言ではない。この音は、何かの効果ではないし、演出でもないし、何かの説明でもない。ただどうしようもない、解消しようのない何かとして、これから起こる出来事と、お行儀よく混ざり合う事もないし、逆に乖離することも無い。まったくそのままの状態のまま、それ自体のすさまじいちからそのままで、ひたすら作品の間中、鳴り響いているのだ。このサウンドのありよう。これがまずすごい。


画面の中央にとらえられた妹が、少しずつこちらに近づいてきて、しかしふと別の何かに興味をひかれ、立ち止まり、下を向く。でもまた、名前を呼ばれて、こちらに向かって歩き始める。どんどん近づいてくる妹の、その表情を、作品を観る者は見つめる。その表情の視線の先を見つめる。それまで、ほぼ正面を見ていた妹の視線が、ふと、横にそれる。その方向につられるようにしてカメラが動く、そこには既に自由に動き回ることを許された犬がいて、名が呼ばれると、間髪いれずに勢いよくこちらへ向かって走り出す。妹や姉のいるその場所をかすめるかのようにして、その柔らかそうな茶色の毛が風になびくのが、ずいぶん近距離で確認され、しかし直後、猛スピードのまま、あっという間にフレームから消え去る。カメラが今度は反対方向を向く。一瞬で無意識のうちに予想されるある予感から、絶妙にずれたあたりから、疾走中の犬がすばらしい勢いでフレーム・インしてくる。そのまま一気に画面の奥行きのむこうまで走る…


この映画で、一体何が起こって、僕は何を観たのか?…それは、たとえばこの犬の動きだ、それを観た、という事もできるのかもしれない。この犬の動きが、これほどまでに強烈なものだというのは、この映像を複数回みてみないと、なかなか気づけない。ぱっと見てものすごいスピードというわけでもないし、これらは、どう考えても、おそらく何ということもない、なんの変哲もない、日常的によくある動きに過ぎない。それなのに、それがとてつもない動きへと変貌してしまうのはなぜか。それはおそらく、その動きが最初から、妹が向こうからゆっくりと近づいてくるときから、すべてが精巧な仕掛け細工であるかのように、すべての関係性の爆発的な結果、のようなものにさえ、感じられるからだろう。それはまるで、妹のふとしたまなざしの移動から起こった事のようですらあるのだ。


この後、一行は、さらに水辺にまで移動する。犬は、素晴らしい勢いでいち早くゴール地点にまでたどり着き、その直後また、素晴らしい勢いで、元の位置にまで戻ってくる。振り返ればまた、さっきと同じように、画面の中央にとらえられた妹が、少しずつこちらに近づいてきて、しかし別の何かに興味をひかれ、立ち止まり、下を向き、名前を呼ばれて、また歩き始める。波の飛沫や、海の艶かしい青緑色ののたくり、空の青さ、波打ち際から張り出した板張りの台の上に乗って、その下を見下ろす。犬も、怖そうに下を見下ろし、そのまま長い舌を出して笑ったような顔で、カメラを見上げる。妹も、強い風にジャンパーのはためかせながら、海を見つめる。犬と妹と姉の、お互いの位置が、さっきよりもずいぶん近くなっており、その結果、行動の幅が抑制されつつあり、カメラがズーム気味になり、そして、この作品の終盤は、最終的には、強烈なクローズアップの、被写体と光と影とものの境界が激しくスパークし合うような、ほとんどヤバイくらいの領域に足をかけてしまうような、強烈な明滅状態となる。