双眼鏡


最近の妻の手元には、ルーペとか双眼鏡とかの光学製品がやけに揃っており、それらを用いて何やら観察をしたいと云うので、完全に夏と言って差し支えない日差しの下、水元公園に向かう。


双眼鏡というのは覗いてみると、上手く見えるように使うのは、けっこうむずかしいもので、単に目に押し当てるだけではうまく見えず、二重になって、ぼやけてギラギラとした視界がぶれぶれになるのを安定させられなくて、一瞬見えたと思ったら睫毛が邪魔をするのか黒っぽい遮蔽物がちらついて急に遮られたりして、普通に前方を見るだけのことだけでも、なかなか苦労する。まるで、立体画像を上手く見ることができない時のように、まず普通に見えるようになるまでのあいだ、しばらく難儀する。


しかし目とレンズとの距離や、持ち方など少しずつ工夫して、ゆっくりと見えてくるポイントを探していると、ある時ふっと、視界が整理される。すると、たちまち双眼鏡で見たときの独特のイメージが立ちあらわれる。


つまり、まず暗闇だけの世界があり、そこに自分がいる。目の前に、だいたい自分の身長が余裕ですっぽり入る位の直径をもつ正円の穴が、忽然と空いたようになる。そして、その穴の向こうに、光にあふれた眩いばかりの景色が広がっている。その景色は、ふだん肉眼で見ているのよりも数倍以上巨大なスケールで存在してある。


その状態で、上部にあるピントのツマミをくるくると回して、近くの対象を見たければそれへ、遠くの対象を見たければそれへ合わせる。水辺に、アオサギとカワウが、群れて休んでいる。正直、鳥をズームで見て、何が面白いのだろう?と思っていたのだが、いつまで見ていても飽きない。それどころか、けっこう興奮する。鳥が面白いというよりも、双眼鏡の視覚世界が面白い。杭の上で、あるいは岸辺で、まるで模型のように静止している。拡大された彼らは、大雑把なイメージであることをやめて、全体像でありながら同時にディテールとして、その両方を両立させながら、静謐にその場所にいる。拡大された景色は、事物の拡大であると同時に、光自体も拡大されているようなのだ。だから、ただ、そこに在るというだけのことが、まるで絵画のようなあっけないフィクションとしての、奇跡的なものに感じられる。


そのようにしてひとしきり見て、満足したのでビールを飲んで持参の酒を飲んで、そのまま気付くとグーグー眠っていた。起きたら夕方だった、ので、帰宅。