幼稚園時代が五歳から六歳なら、保育園時代は四歳ということになる。四歳の頃の記憶となると、まとまりのある出来事ではなく、脈絡をうしなった断片のいくつかでしかない。でもそれらが自分にとっては最古の記憶ということになる。

ならば麦茶という飲み物の味を僕は四歳のときに知ったのだなと思う。保育園に備え付けられていたポットの冷えた麦茶を飲んだときの味を、今でも麦茶を飲むたびに思い出せるというか、麦茶の味とはつまり四歳の頃に飲んだあの液体の味であり、それはあの時と今とでまったく変わらない。

(五十年近い時間が間に挟まっているとは思えない)。(作り置きの麦茶は冷蔵庫に入れておくと数日で味が落ちてくるのだが、まだ作りたてで新鮮で香りの消えてない麦茶が、まさに四歳のときに飲んだ麦茶の味なのだ)。(ほとんど「ラスト・エンペラー」のコウロギみたいだ)。

実家で母が作ってくれた味噌汁は、何の変哲もない市販の合わせ味噌だったけど、夏休みに両親の実家に帰省すると、その家の味噌汁は家と違って赤だしなのだった。

たぶんこれは十歳前後の記憶なのだと思うが、朝になって、無理やり起こされて、まだ猛烈な眠気を払いきれないままで、朝食の支度が済んだ机の前に座らされる。目を閉じればすぐにも眠ってしまいそうな眠気のなかで、無理やりご飯を口に運び、赤だしの味噌汁を飲む。

そのとき口に入ってきた味噌汁の味わいも、それを口にするたびに、あの朝の抗いがたい眠気と、そんな口と喉を通り抜けていった味噌汁の味がよみがえってくるというか、僕にとってはこれこそが赤だし味噌汁の味なのだ。

しかし麦茶にしろ赤だし味噌汁にしろ、ここ数年であらためて好きになってきたのが不思議だ。別に郷愁とかそういうのを感じたいわけでは全然なくて、どちらも単にとても美味しいと感じるのだ。