東銀座


金曜夜の七時半頃に新橋の銀座口を出て東銀座方面へ向かって歩く。9丁目や8丁目は煌びやかな、如何にも銀座という感じで、完全に観光客モードと化して周囲をきょろきょろ見回してしまう。ビルの壁に沿って無数のお店の看板が縦に連なって延々と光っている。大げさな言い方でなく、夜空の星の数と同数くらいの店があるのではないかと思う。これだけ店があれば、そりゃ中には美味しいお店だってあるはずだ。もうこの地帯一体がすべて食の魔窟みたいなものだな。色と欲の魔窟みたいな。如何にもありきたりだが、でもネオンと高級車と着物やドレスの女性たちを見ながら歩いていると、まるで映画の撮影所の中にいるような気になってくる。それはやはり、自分には相応に楽しそうに感じるというか、やはり観てみたい気にさせられる映画ではある。


ジュヴレ・シャンベルタン。こういうのもたまには飲まないといけない。これも勉強だよねとか何とか自分に言い聞かせつつ。しかし、まあ価格を考えたらもはや自分の領域ではないなとも思う。水準が違う。それを注文するしない以前に、全体的に自分の生活圏にあるものではない。もっとお金持ちの人たちの領域である。だから別に、最初からそんなことしなくてもいいのよ、でも、まあ、たまにはいいでしょうと云うことで、それでやはりこれが、なかなか素晴らしいのだった。酒の美味しさというのはそもそも何なのかという根本的というかほぼ愚問な問いに対する、おそろしくシンプルな回答として、その液体があるという感じだ。味わいがあるというより、まだ何にもなろうとしていなくて、これからどうにでもなっていこうとするような、リラックスした自然体としてそれはあって、きめの細かく繊細でやわらかい、しっとりとした、しかし小さくて儚く見えるのに、直に触れると意外にずっしりとした存在感、みたいな、そうやってとにかく言葉を重ねたくなるような、そしてそれが如何にもありきたりなワイン表現に集約されてしまってもどかしいような、そういう感じだ。これならそりゃたしかに煩い事を色々言いたくもなるわなと思った。