Amazon Prime(スターチャンネルEX -DRAMA & CLASSICS-)で、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーマリア・ブラウンの結婚」(1979年)を観る。

主演のハンナ・シグラを観ていて、ふと"マテリアル・ガール"のマドンナを思い出してしまった…。あの80年代の"マテリアル・ガール"が、じつは戦後ドイツを生きのび、言葉を絶する辛い過去を乗り越えた末に"マテリアル"を勝ち取ったのだとしたら、つまりこの映画のストーリーを踏襲しているのだとしたら…などと想像し、マドンナってもしかしてドイツ系の出自なのかな?などと思ったけど、観終わったあとで調べたら、当たり前だけどぜんぜん違う。

ところで、マリア・ブラウン(ハンナ・シグラ)だが、この女性は元々、生きる上での才覚がある人というか、生きる手掛かりを、なんとか独りで切り開いていけるだけの裁量や了見をもつ女であるだろう。バーの女給で働き始めた時点で、そのことは明確にわかる。

ただ、それはそれとして、ならば彼女のモチベーションはどこにあって、何を目的に生きていくのかと言えば、もちろん結婚してまだ半日しか一緒に過ごしていない、彼女の殺人罪の身代わりで獄中にいる夫との、幸福な生活を目指してではあったろう。ただしそれが、彼女の知性や行動力によって、逆境を逆手に取るというか、巧緻を効かせるというか、とにかくある経営者の懐に飛び込んだ彼女は、あれよあれよという間に社内でのし上がり、経営者の心も手玉に取る。しかし彼女を愛する経営者の男は、獄中の彼女の夫とひそかに面会する……。

終盤に来て、この映画を観ている我々は、妻と出所した夫の二人、豪華な新居に遺産譲渡の知らせがやってくるのを受ける。ラジオから、騒々しいサッカーの実況放送が、試合終了まで、あと十分、あと五分と、大声で喚きたてている。さっき開いたガス台の元栓が、まだ開いたままなのをうっすらと気にしながら、我々は彼女らの様子を見続ける。それを何となく、ぼんやりと忘れたころに、それこそサッカーの試合終了とほぼ同時に、ドカンと火炎が上がる。二人が炎に焼かれただろうとの思いに耽る暇もなく、エンドロールがはじまる。

悲劇でもなく、成り上がりがしっぺ返しを食らったという話でもなく、ただそこまでだったのだという、厳粛な事実が示されているだけなのか。

ちょっと成瀬巳喜男的でもあるな(浮雲?放浪記?)と思った。ちょうど同じ時代、西ドイツと日本どちらも敗戦国、戦後にさんざん苦労した女の話として、女たちは、それはそれは、たいへん過酷な状況を生きたのだと、いやひとりの女の生を通して、その時代そのものを描きたかったのだ……みたいな。いや、そうではなく、ところどころに挿入される、無残きわまりない瓦礫の風景を、瓦礫そのものの無残の変わらなさを、ただ見つめるよりほかない。