月曜夜に来た業者は、うちの風呂の蛇口を一目見るなり「あ、部品がちがう」と言って五分で撤収した。仕方ないので管理会社経由で別業者に来てもらうことになったのだが、事前にメールで送信した蛇口部分の写真画像に対する担当者の返信が「いくつか部品を持参して試します。もし当日完了できなければ、また日程を再調整させていただくかもしれません」とか、妙に自信なさげな、上手くいかなかったときの逃げ道確保なニュアンスが濃厚に漂っていた。

つまりうちのマンションの水回りが、今となっては如何に古くて汎用性に欠けるかをこの事態は示しており、じつは前からそれはうすうすわかっていた。業者を家に呼んだことは以前にも何度かあり、そのたびに担当者の「どうも簡単には済まないぞ」とでも言いたげな態度、あるいは苦しい言い訳をされて出直されることが多いからだ。

仕方ないんだなあ、古いからなあ、と思って、ここに住む以上あきらめるしかない。賃貸だから修繕費用は貸主側なのでそれは良いのだけど、あまり大掛かりな工事になるのも嫌だし、当分このまま、微妙な状態をダマしダマし使っていくしかないのか(というか、すでにそのやり方に慣れてしまっているのだが)。

ある時代の、東京に縁の深いおじさんたちは、永井荷風が好きである。ちなみに江藤淳小林信彦はともに1932年生まれ、永井荷風は1879年生だから当然ながら両者とはまるで同時代ではなく、二人は荷風の見た景色をそのまま見たわけではない。にもかかわらず、江藤淳小林信彦永井荷風が好きで、荷風の見たものをあたかも自分の記憶した景色であり時空間であるかのように読む、というか荷風の見たものが自分の見たものとつながっていると感じる、その確信こそを大切にしたいと思っている、のだとする。

たとえば彼らがいつかこの世界を去ることで(江藤はすでに死去)、彼らにとっての永井荷風も消えていく。もちろん永井荷風はこれからも読まれ継がれるだろうけど、江藤淳小林信彦という個体の条件下における永井荷風は、これで消えていく。ただしそのような個体の条件下において読まれた永井荷風が、かつて存在したという事実は残る。それは江藤や小林の書く本によってだ。

だから我々は彼らの本を読み、彼らの頭の中にあるだろう永井荷風に対して、彼らに替わって、というか彼らから譲り受けたかのようにして、何か未練のような、ないものねだりの感情を持たされることになる。彼らが荷風を読んで思い浮かべる景色とか、ある時空間、おそらくは彼ら自身の記憶とないまぜになった、個人的感傷もともなうだろうそれを、同じように感じたいと思わせられ、しかしそれがかなわないことを、はじめから知っている。

しかしもともと荷風自身が、失われたものへの郷愁とか、かつてそうであったものの喪失感を、中心的主題としているのである。関東大震災以後の東京を描くとはつまりそういうことで、以降誰においても東京を描くとは喪失を描くことにほかならず、東京という場自体が、はじめから失われた何かとして追い求められる対象なのだ。

彼らはまるで、深海を行く潜水艦や宇宙を行く人工衛星の撮影した映像を吟味して、ああそうだ、思った通りだ、この景色こそ想像した通りのものだと、感慨に耽っているかのようでさえある。知らないはずの過去が、私の知っている何かと強く関連付きながらあらわれ、私たちの現実と地続きであること、むしろそれが私たちの現実の輪郭を強調し、覚醒させる何かとしてあらわれる。

たとえばプルーストを読むというのも、つまりはそういうことなのだろうか。誰かによって見出された、誰かの過去。もとよりそれははじめから無かったのかもしれないが、誰かによって信じられていて、それによって誰かの心を支えている、いわば二重の過去は、その誰かがいなくなることで消えていく。しかしそれが誰かによって見出された、その事実自体は残る。作品が読まれるというのはそういうことで、作品の質、その厚みとは、そのような時間の堆積を指すということか。そのような何かがかつてあったように感じることが、その厚みということか。

風呂の蛇口が壊れて栓がきちんと締まらず、お湯が止まらなくなった。温泉かけ流し状態である。水が出ないのは困るが、止まらないのも同じくらい困る。仕方がないので、外の元栓を締めたら止まった。

これだともちろん、家のなかの全ての水供給が止まったままだ。ほぼ生活不能、このままでは、やって行けないことになる。至急修理を請いたいところだが、運悪く日曜日の夕方なので管理会社に電話しても不通である。なすすべないので、今日はあきらめて、むしろいつか来るべき災害時のリハーサルだと思って、浴槽に溜めた水を有効活用し、諸事取り行う。

思えばここも古いマンションで、築何十年とかで、我々が住んでからも相当な時間が経過した。ちなみにこのブログをはじめたのは2006年6月頃で、ここに引っ越したのはたしか同年11月である。まじか、いったい何年経つんだ…と、なんかやってることも生活も、ほとんど何も変わらぬうちに、時間ばかりが過ぎる。おそろしいことだ…などと書きながら、べつにおそろしいとも思ってなくて、ただ漫然と水のように、気づいたらそれだけ時間が経っているという感じ。

まあ、水回りはさすがに劣化してくるものだろうが、でもうちはなぜか、不思議なほど電化製品が壊れない。テレビも冷蔵庫も二十年以上壊れてないはず。洗濯機は音がうるさい(と妻が言う)から、数年前に買い替えたけど、壊れたわけではなかったはず。家具や調度品も変わらないので、室内の景色が昔も今もそのまま。本棚には当たり前のように十年とか二十年以上前からの「未読本」も多数ある。すべてがこの調子だから、時間が止まっているとは言わないがその流れは緩慢で、それは二人の住人も同じで…と思いたいがどうか。そこは自覚の問題か。

整形外科で診察とリハビリ。順調に快復している、とのこと。同じ薬が、さらに二週間分処方され、経過観察となる。

久々の店で、イタリア野菜惣菜盛り合わせ、芽キャベツのローストに牡蠣ソース、茹でジャガイモにホタルイカソース、そして生桜海老のパスタ。

ワインはすべて自然派。白とオレンジを、さっぱりから濃厚まで、皿ごとにグラスで。〆にグラッパで。

帰ってから新玉ねぎ薄切りとタコのマリネ。これはいつでも美味しい。再び呑む。

DVDで豊田四郎「駅前旅館」(1958年)を観る。かつては上野にも、おそらくはその他の都内の多くの都市にも地方にも、今とは比較にならないほど多くの旅館があり、番頭が駅前や店先で客の呼び込みをし、周辺の同業者や商人や、怪しげなチンピラまがいの客引きらによる共同体があった。旅行会社のツアーコンダクターは旅館主や関係者らと公私に渡って付き合いがあり、仲居の女性も始終男性らの眼に晒されていた。

調子のいいフランキー堺や、舌先三寸な森繁久彌や、いかにも面白い雰囲気に満ちた感じの伴淳三郎の、いかにもコメディといった感じで、賑やかでバタバタとあわただしい話の運びで、しかし今の目で観ても上滑りすることなく、なかなか面白く感じられるのは、ブレーキもリミットも効かない勢いで突っ走る「貸間あり」のような狂騒的スピード感ではなく、普通の映画に近いというのもあるけど、なにしろ森繁久彌が良いのだと思う。森繁久彌ってやはり多彩で上手いなと思う。まだ無名に近かった頃の渥美清も、森繁久彌を尊敬したのだろう。

森繁久彌淡島千景の、この二人はくっつくだろうと予想できるような親密さがあり、その一方でフランキー堺と三井美奈との、あれよあれよという間にくっついてしまう若い関係がある。その三井美奈が朝、眠っている森繁の寝室(というかわずかな隙間みたいなスペース)に入ってきて、窓を開けてハタキでばたばたするとか、淡島千景のやってる居酒屋で酔客らを相手にしてる感じとか、そういう些細な、何でもない日常の描写が一々自分は感じ入ってしまう。ああこういうのいいなあ…と、こういう距離感で営まれてる日々こそ、昔だなあと、それが上野というあの場所のことでもあったのだなあ、と。そんな感慨に耽らせてくれる、

森繁久彌は古風な番頭であり、気になっていた女と再会したのに、相手のちょっとした言動にへそを曲げたり、舌先三寸で軽薄なようでいて、じつはプライド高く頑固なやつである。旅館の主人と女将は、今どきならほっといても修学旅行だの団体だのの予約が入るので、もはや番頭の舌先三寸の「技術スキル」なんて必要ない、商売の仕方も時代も変わったのだし、もう彼は用済みであると、薄々感じている。森繁は旅館を後にし、上野の地をも離れることになるだろう。彼を追ってきた淡島千景と田舎へ都落ちみたいな、良かったようなそうでもないような、単なる笑いではない少しのほろ苦さを感じさせつつ、最後は上野駅から吐き出されてくるたくさんの人々を捉えたラストショットで終わる。

グリフィス「東への道」のクライマックスの流氷場面。氷に伏せている、哀れで美しいリリアン・ギッシュ、冷たい氷の上に身体を横たえて、髪や腕が水に浸かっていて、おそらくその体温も気力も、冷たい川へみるみるうちに吸い取られているのではないか。瀕死のオフィーリアのような、想像するだけでも痛ましい状況。

彼女を乗せた氷が、川をゆっくりと流れていく。そこへ登場するのは、ビシッとかっこいい二枚目のリチャード・バーセルメスである。探しあてたリリアン・ギッシュの有様に驚き、そのあと岸辺でやや逡巡し、早く助けに行けと観る者を一瞬イライラさせ、しかし次の場面では人が変わったように勇ましくも割れた流氷の上を見事にぴょんぴょんと飛び移りながらリリアン・ギッシュのもとを目指す。おお!さすがだ!がんばれ、と一心に見つめるしかしその先には轟々と音立てて滝が待ち構えており(無声映画だが)、なんだそれは、ひどいな、そんなのアリか、万事休す、リミットが迫る。

もはや瀬戸際。これ、もうダメじゃないの、どうみても無理ではないかと、一瞬思わせた次のカットで、男性が女性の元へたどり着き、同じ氷の上にいる。あわや危機一髪、男性は女性を抱きかかえ、やがて二人は無事、岸辺にまで辿り着く。

これはフィクションで、この面白さは緻密に組み上げられたもので、だからその細部を一々思い出して楽しむことができる。こういう面白さはしかし、以後のテレビの登場によって役割を奪われたとも言えるだろう。ハラハラドキドキをやらせたら、テレビにはかなわない。もちろんテレビがスリルに満ちたすごいフィクションをたくさん作れるというわけではない。

たとえば、大相撲の優勝決定戦がテレビ中継されている。歴史的な初優勝を成し遂げるかもしれない、ひとりの力士の姿。彼は英雄になるか否かの瀬戸際にいる。スポーツ選手のここ一番、待ったなしの決定的な成功/失敗の瞬間を、我々はテレビで目撃する。

中継こそテレビであり、現実の一瞬先、何が起こるかわからない。リリアン・ギッシュは演技をしているわけだが、優勝決定戦に臨む力士は演技者ではない。どちらが勝つかは、やってみないとわからない。助かるか助からないか、そのスリルはいつでも供給される。しかもそれは演技ではなく、フィクションでもない。

俳優がテレビに出ないというのは、大事なことかもしれない。氷上のリリアン・ギッシュは「風雲!たけし城」に出演していたわけではない。そのことは、ほんとうに良かった。

僕はもちろんカラオケは好きではなくて、なぜかと言うと歌うことが楽しくない、自分に自分の歌う声が聴こえてくるのを、楽しむことができない、だから自分自身はまったく歌わないし、お前も歌えと言われて一々拒否するのも面倒くさいし、カラオケ店内は狭くて居心地が悪いし、そもそもカラオケ店の看板が下品で醜悪だし、料理も飲み物もまるで美味しくなさそうだし、さらに一緒に行った同席の人の歌声が耳障りだったり、やかましかったり、選曲が自分の嫌いな部類の曲ばかりだったりすると、ますますうんざりして、気が滅入って、行き場のない怒りさえ湧いてくる。

そういう理由で、カラオケに行くのを僕は拒否するのだが、ただ他人の歌を聴くのが一切すべてダメなわけではない。耳をそばだてたくなるような歌を歌う人も、いることはいると思ってる。たとえば単純に客観的に、歌唱力のある人の歌なら、それなりに聴けるのかもしれないが、ただしそれも曲によるので、嫌いな曲を朗々とやられたらむしろ最悪だ。しかもカラオケで歌われそうな歌で嫌いじゃない曲を他人が選択する可能性は少なそうだ。

上手い下手ではなくて、僕が聴きたくなるような歌を歌う人は、どちらかと言えば男性より女性に多くて、たとえばの話だが、それもあまり歌の上手くない人が、付き合いで仕方なく歌ってるような、選曲は、なぜか一昔前のややスローな曲で、それをかなり危なっかしい、頼りない音程で、字幕の歌詞を追いつつ、楽しむ気もなく、あくまでも義務的に、まるで仕事や家事をするときのような態度で歌ってるような。音程は高音域でとくに危うくなり、ときには泣いたような声になる。こういう歌い手の歌に、なにか得体のしれぬ抒情を感じ、あ、このまま聴いていたい、となる。

つまらない歌が、装われた抑揚の歌声に乗ることで、なぜか耳を捕らえる。はかなくて、刹那的で、かすかな感傷を含んだ、この状況すべての下らなさとバカらしさを、そのまま包んで肯定してしまうような、もうこのまま、ごちゃごちゃと考えなくてもかまわないと、甘くあきらめさせてくれるような、そういう歌に聴こえてくる。そこまでだと言い過ぎだけど、同行する相手がそういう歌い手なら、僕も付き合うのにやぶさかではない。