DVDで豊田四郎「駅前旅館」(1958年)を観る。かつては上野にも、おそらくはその他の都内の多くの都市にも地方にも、今とは比較にならないほど多くの旅館があり、番頭が駅前や店先で客の呼び込みをし、周辺の同業者や商人や、怪しげなチンピラまがいの客引きらによる共同体があった。旅行会社のツアーコンダクターは旅館主や関係者らと公私に渡って付き合いがあり、仲居の女性も始終男性らの眼に晒されていた。

調子のいいフランキー堺や、舌先三寸な森繁久彌や、いかにも面白い雰囲気に満ちた感じの伴淳三郎の、いかにもコメディといった感じで、賑やかでバタバタとあわただしい話の運びで、しかし今の目で観ても上滑りすることなく、なかなか面白く感じられるのは、ブレーキもリミットも効かない勢いで突っ走る「貸間あり」のような狂騒的スピード感ではなく、普通の映画に近いというのもあるけど、なにしろ森繁久彌が良いのだと思う。森繁久彌ってやはり多彩で上手いなと思う。まだ無名に近かった頃の渥美清も、森繁久彌を尊敬したのだろう。

森繁久彌淡島千景の、この二人はくっつくだろうと予想できるような親密さがあり、その一方でフランキー堺と三井美奈との、あれよあれよという間にくっついてしまう若い関係がある。その三井美奈が朝、眠っている森繁の寝室(というかわずかな隙間みたいなスペース)に入ってきて、窓を開けてハタキでばたばたするとか、淡島千景のやってる居酒屋で酔客らを相手にしてる感じとか、そういう些細な、何でもない日常の描写が一々自分は感じ入ってしまう。ああこういうのいいなあ…と、こういう距離感で営まれてる日々こそ、昔だなあと、それが上野というあの場所のことでもあったのだなあ、と。そんな感慨に耽らせてくれる、

森繁久彌は古風な番頭であり、気になっていた女と再会したのに、相手のちょっとした言動にへそを曲げたり、舌先三寸で軽薄なようでいて、じつはプライド高く頑固なやつである。旅館の主人と女将は、今どきならほっといても修学旅行だの団体だのの予約が入るので、もはや番頭の舌先三寸の「技術スキル」なんて必要ない、商売の仕方も時代も変わったのだし、もう彼は用済みであると、薄々感じている。森繁は旅館を後にし、上野の地をも離れることになるだろう。彼を追ってきた淡島千景と田舎へ都落ちみたいな、良かったようなそうでもないような、単なる笑いではない少しのほろ苦さを感じさせつつ、最後は上野駅から吐き出されてくるたくさんの人々を捉えたラストショットで終わる。