プライスコレクション 若冲と江戸絵画 を観に行く。


観に行ったけど結構混んでた。まあ、混雑してる展覧会というのは、たまーにあるのでして、それに一々文句言ってるのでは、はじまらないのですから、そんな時は鑑賞スタイルも柔軟に切り替えが必要だ。


これくらいの混雑の場合、昔から僕は「Hit&Away」戦法を好んで取り入れている。遠くから、人の頭で常に一部が隠れた作品の全体を、時間を掛けて見つめ、記憶を頻繁に更新させ、おおよそを把握した上で、詳細確認が必要な箇所を選別すると、その箇所目掛け、人の隙間を掻き分けつつ一直線に進み、柵に密着して観察し、気が済んだらすばやく同じルートを後退して元位置に戻り、次の出動を待つ。…以下繰り返し。という戦術である。


大まかな把握〜細部〜再び全体へ舞い戻る。という絵画的体験の、緊急時における最も効率的かつ有効な実現手段として、極限まで無駄をそぎ落とした行動形態。それが「Hit&Away」なのだ。…っていうか鑑賞者の大多数の方々は、音声ガイドの音漏れも騒々しく、一様に順路どおりの横行列で進んでいかれるので、絵と絵の間の壁をゆっくりご鑑賞されておられる時間も結構多いように拝察されます。できれば全員、この「Hit&Away」作法を取り入れてほしいところだが、良く考えると、集まった全員がそんな動きをしてるというのは結構怖いので、やっぱり今のままでも良いと思った。


・・・っていうか、実を言うと、なんか今日はどうも疲れちゃって、そういう事(「Hit&Away」)をする気にも、あまりなれない気分が襲い、館内に入って5分したら嫌になって来てしまった。…という訳で本日は若冲作品については一部を除いてほぼ鑑賞していないという状態です。ただし、「江戸絵画」と称して隣室にあった抱一や其一や、その他のモノをかなり丹念に観た。今日はここに金払った。という認識。


抱一。上手いなあ。と思う。実は得意技がそれほど沢山ある訳ではなさそうなのだが、でも「あやめ」なんか何度も出てくるけど、もう自信満々で、あの青色をのせ、あの形態を描いていて、「冴えてる絵」そのものって感じがして、それが本当にすごい良かった。


あと、僕は昔からそうなんだが、銀箔というものに、ほとんど無抵抗な状態で心を打ちのめされてしまう。今日は鑑賞の一つの試行として、部屋全体を暗くして、各屏風絵の左右から当ててる照明を、一定のゆっくりした周期で、色温度を変化させるようなことをやっていた。赤さを微かに感じるくらいの、低い色温度から、ニュートラルな帯域を経由して、かなり青みがかった高いところまで行き、また戻る。というのを1分周期くらいで繰り返してやってる。


そのような仕掛けが施されている、オール銀箔の、ドライ&ハードネス第二期キングクリムゾンみたいな「夏草白鷺図屏風」(山口素絢)を観て、僕は恥ずかしながら、異様に感動してしまい、ほとんどその場に座りそうになってしまった。


何が良いのかというと、その朽ちてぼろぼろになって、驚くべき豊かな複雑さを獲得した銀箔の広がる「面」である。としか言えない。はっきり言うと、「夏草白鷺図」の図としての起ち現われについて、僕はそれほど目を向けていない。その図が、「感動」に参与している割合が少ない事をアタマの片隅で感じているのに、なおも感動している。。特に色温度が高めになって、京都とかの寺の冬の早朝のような、清冽な印象の青みがかった空気に画面が染まっていくときなど、感動が極みに達する。とにかく、光の移ろいに表情を変えていく画面の有様に、目が釘付けになり、その場を立ち去れなくなってしまう。としか、言えない。まじで


まあ、これは一体「絵」の素晴らしさに対する感動なのか?という疑問は感じる。ってか、これって昔から僕の中にある。これも単なるフェティシズムにすぎないのでは?っていう…。しかしフェティシズムだとして何が悪い。だからどうしたと言うのだ?とも思う。