アンティークレイドペーパー


クロッキーブックに4Bないし6Bの鉛筆でがーっと描くというのをよくやる。ウォームアップのような息抜きのような感じで、制作のはじめの時間に軽くやる事もあれば、本日を切り上げる時の終了儀式としてやる事もある。新たな画面に向かい合う準備ができず、まだ構想を練りたいというか、マインドメンテナンスというか、そんな理由で描くときもある。


そういうのを慣習として学生時代からずっとやっていて、大体2〜3ヶ月に一冊といった感じで消費してた(僕は一時期、絵を描いていない時期があったが、クロッキーブックに描くのだけはなぜか絶えなかったのだ)のだが、しばらく新しい一冊を買ってないという事に今日、気づいた。去年の秋くらいから使ってる一冊が未だ終わらないからだが、利用ペースは変わらないのになんで終わらないのかというと、なぜか最近、前の方からペラペラとめくって見返して、どうでもいいと感じたやつは片っ端から消しゴムで消して、また新規に描くという事をしてるからであった。消し跡の調子がキレイだから、とか、そういう事もあるかもしれないが、なんかもう、こうやって中途半端なモノが冊数として溜まっていく事が、なんかイヤになる感じがあって、別に意識的に残したいと思うモノ以外は、どんどん消していければ気持ちいいなあというような気分があるのかもしれない。消して上から描くっていうやり方で充分、用が足りてるし。


という訳で、この跡、段ボール箱にぎっしりのクロッキーブックがどんどん引っ張り出されて新たに描き換えられていくかもしれない。その方が経済的でいいね。…でも昔のクロッキーブックは、ある意味日記のようなもので、そのときの感覚とか気分が濃厚に残っているもので、笑っちゃうのが、わざわざ表紙に何か意味不明なタイトルが付いてるのとかまであるし…あと、やっぱり色々見返していると、結構、感覚的な何かを現時点において呼び覚ましてくれる効能も高い。だからまあ、そういうのはきちんと自分用に保存しておくだろう。…でも、どうでも良いのも多いのだ。っていうか、ほとんどそうだ。


なんというか僕の場合、学生の頃の感覚と今と、断絶してるなあと思うところもあれば、考えている事とかが全く変わってなくて、完全に地続きで作業してるぜ。という気持ちもあって、そのあたり、クロッキーブックの内容というのに対する距離感ともリンクするのだが、なんというか、15年前に描いたものをわざわざ消して、新たに鉛筆を走らすというのは、なにか、ちょっと自分の中に喜びがある。繋がってるんだぜ!という気持ちにもなったりする。