人物画が含有している筈の歴史を知らない


鍵をお借りしてあるので、今日も画廊に行って展示状態をもう一度みた。場合に拠っては点数を落として作品の間隔を広く取り、空間全体をゆったりさせようかとも思っていたのだが、現場で観たら、もういいや。やっぱりこのまま行こう!と思った、なのでこのままで初日だ。


しかし昨日、あらかじめシミュレーションしてた雰囲気と、実際の雰囲気にさほど違いはなかった。みたいな事を書いたが、それはかなり怪しいと思う。


僕の描く絵というのは、人物が多いので、どうしても紙のサイズが縦長になる。それも結構、縦が長い比率になっている。で、その絵も大体ほぼ同じ大きさである。これは同じ条件で毎回アタックしている方がその都度色々考えやすいからであるが、今回の展示で、そういうのをざっと並べている事で感じさせた、ああいう縦長のモノが整然と並んでいる事の感じを、僕は一体どれだけ予測して、というか、どれだけわかってやっていたのだろうか?と思う。


やっぱり人物を描く事の歴史性とか、もっと何か気付くべき事が大いにあったのではないか?という気がしている。ちょっとそのあたりに、詰めの甘さみたいなのがあったのではないか?ってことは、今後何をしないといけないのか?を考えなければいけない。人物画が並ぶ、という事の、過去の実績をもっと知るべきだったかもしれない。本当なら、もっとすごく、過去との繋がりを呼び起こす事できるような感じがなければいけないのかもしれない。それは描かれる内容以前に、展示方法とかで、そういうのが感じさせられる筈だ。展示方法というのは、別に素っ気無くやるので良いのだと思うが、だからこそ余計に、ちょっとした何かですごく良くなったり悪くなったりするのかもしれない。。その辺が、まあはっきり云って良く判らないままやってる感じだ。でもそれでは多分駄目で、要するに、何も「出来事」が起こっていないとしても最低限そこで何が可能性として在り得るのか、僕がある程度それを知らなければいけない筈なのだ。