トレモロ・アーム・ターン・テーブル


中学のとき、ギターを買うことになったとき、じゃあどういうギターを買うのか?を考えるときに自分の場合はもう、まず何をおいても譲れない部分として、トレモロ・アームがついてるギターじゃなきゃ駄目!というのがあった。理由はジミヘンが…という事ではない。まだ中学のときは、僕はジミヘンは聴いた事がなかったはず。いや知ってたかもしれないけど、それが直接的な理由ではなかったと思う。そういう誰かへの憧れ、という事ではなくて、端的に、あのレバーをぐいぐい上下に動かすアクションをせずして、何がエレキ・ギターか!?と思っていたのだと思う。わざわざ、それが付いてないエレキ・ギターを買う意味がわからない、ってなくらいのものであった。まあ、こういうのはギブソンじゃなきゃ駄目だとか、布袋モデルじゃなきゃ駄目だとか、人それぞれなのだろうけど、僕にとってエレキ・ギターはまず、なにがなんでもアームでした。



エレキ・ギターというのが面白いのは、トレモロアームみたいな、ああいうどう考えても本体に負荷を与えて、やりすぎるとギター自体に致命的なダメージを与えてしまうような装置がわざわざ付いているところで、まさに楽器の鬼子というか、まあ形状といい音といい、おおよそ歴史を背負う気持ちなど最初から放擲した状態で呪われつつ生れ落ちた、最初からヤケクソに開き直ったような楽器である。そういう倒錯したフェティッシュ性をくすぐるところもあるし、またそれ以前に、あのトレモロアームという部品の、がっしりと手で握って力任せにぶんぶん揺すって、金属線の固いテンションを無理やり変えて音を揺るがすという、腕力と音とが直接連動してしまうような原始的快楽がものすごいし、そういうのをあからさまにやれてしまう臆面の無さみたいなのも、ちょっと可愛いのであろう。


腕力で音を変える、というのが如何にも若者的だとも言えるのだが、その延長にはDJ機材であるミキサーとターンテーブルがあるのだろう。ターンテーブルもまさに、音を直接的に触る楽器であり、その単純さ、直接さ、臆面の無さはアームをぐいぐい上下させる衝動をそのまま受け止めてくれるであろう。わかりやすいところではスクラッチという技があるけど、もっと単純な基本操作において、ターンテーブルはあまりにも激しくレコードに触る。物理的な溝めがけて、なんどでも針を落とし、何度でもループさせる。これもまた酷い話で、それ専用に補強されトルク性能も高められたターンテーブルというのは、これまたオーディオの歴史のある方角における最前線に位置しており、そこで再生装置としての限界に晒されるために生まれてきた機器といえよう。


文章で単純に書いてしまったので、これだとまるで幼児的に楽器を乱暴にもてあそんでるだけみたいな印象になってしまうのだが、そういう事ではなくて、根本にはそういう原初的なものが潜んだ状態で楽器に触れているのだ、ということである。たぶんギタリストが構えるギターのブリッジ部からアームが垂れ下がってるだけで、ああこのテンションは安定的に確定したものではないんだ、とステージを見る誰もが無意識に感じているのだし、新しい曲がカットインされた瞬間の鮮やかながらも軽い揺らぎの不安感がうっすら漂う魅力的な瞬間も、ああ今DJの指によってターンテーブルの淵が軽く押されて、一瞬の回転力を助けられた事でグルーヴが立ち上がったんだな、とフロアの誰もが無意識に感じているのだ。