お香


お香を炊くと、落ち着くね。みたいなことを冗談で口にするならともかく、まさか真剣にそう思って、本気でそう考えて思わずお香に火をつけてしまう日が来るとは、予想だにしなかった。でもここ最近、お香を炊くと、落ち着いた気分になって、癒されるのだ。うそいつわりなくそうなのだ。今日一日をやすらかに終わらせて良い気になりさえするのだ。だから、ちょっと油断すればふっと意識がなくなるほどの強い眠気を、必死に耐えてまで、今、この手元のお香をぽきっと折って三分の一くらいの長さにしたものに火をつけて炊いて、その先端に赤い火種が光っているまでは起きていようと思う。乳白色の煙が、寄生虫のような姿で、目の前をくにゃーとかたちを変えながらのぼっていくのを、ぼんやりと見つめながら、この香りの中で何か考え事をしていようと思う。それが完全に燃え尽きて、香りの幻想が終了して、興ざめの酸化した灰の匂いがかすかに鼻の奥を刺すのを感じてから、寝室へ行って寝ようとか、そんな風に考えてしまっている今の自分ってなんかすごい。乙女みたい。いやでも、これマジで本当にいい香りで、この香りが大好きなのだ。香りが良いというか、その香りが含んでいるある思い出的なイメージというか、何か不思議な甘い記憶のエキスみたいな、そういうのがたまらなく良いのだ。香りというのは、やはり記憶と根強く結びついているものなのではないか。香りそのものよりも、香りが喚起するものが、香りの実体のほとんどを占めるのではあるまいか。で、手持ちのお気に入りのヤツが、あと二本しかないけど、どこで売ってる何というお香なのか、全然わからない。ああこれがなくなったら困るなあと思う。でも、困りながらも、今も、かなり眠い。